Fri
07/03
2009
機動戦士ガンダム41話〜「光る宇宙」のララァの選択
※ララァは肉体を優先??!!
http://www.gundam.info/content/192
あまりあちこち不用意に個人のサイトのレビューを読まないようにしてるのですが、「光る宇宙」の話数を調べたくて検索して、公式系なら大丈夫だろうとうっかりここのレビューを読んでしまいました。
うーん。どうもそのララァのとらえ方、違和感感じます。。。
さんざんここまで、理性より本能みたいな書き方してきた私ですが、「光る宇宙」が、
「主眼となるララァの悲劇は、アムロと精神的には交歓できたものの、結局はシャアとの肉体関係を優先したことが原因」
とは思えないのですが、、、。偉そうですみませんm(__)m、。女性のガンダムファンの皆さんはいかがでしょうか?。
ララァは、あの場面でシャアかアムロかという選択をしたわけでないと思うのです。
アムロもシャアもどちらも生命の危機に陥っていた中で、シャアを庇ったなら、シャアを選んだと言えるでしょうが。また、もし、逆にシャアがアムロを殺そうとしたら、ララァは止めに入らなかったかどうか、何とも言えないわけです。
あの場面では、アムロかシャアかでなく、シャアの死か自分の死かの選択であり、だとすれば自分の死しかララァに選択の余地はなかったと思うのです。
シャアへの愛を選んだのはその通りですが、アムロを選ばなかったわけでもなければ,、肉体の愛を選んだわけでもないと思うのです。
アムロとの心の交歓のシーンを「プラトニック・セックス」と定義されるのもなんだかなあ、あまりそういう表現が好きでないのもありますが、
肉体関係なんて男にとっても女にとっても所詮刹那的なもので、その表面的快感以上に、わかり合える喜び、魂が一つになれる喜びを男と女は求めていると思うのです。それをこそプラトニックセックスと称しているのかも知れませんが、だとすれば肉体で得られるエクスタシーはプラトニックセックスのエクスタシーを超えるわけないのです。
だいたい肉体関係の喜びも所詮脳が出す物質による快感で、精神の喜びと同じですから(笑)。
だから精神より肉体を選択した悲劇のような言われ方をすると、どうもピンと来ないのです。
出撃前にララァが唇を押さえたのは、彼女の純真な少女らしさの象徴で、シャアとは特別な関係であるが彼女の精神はまだ穢れない年相応の少女であることに変わらないということを描写していると思うのです。
また、ララァがガンダムの前に飛び込んできたあの場面で、見落としてはいけないのは、その前にシャアが妹のセイラに気づかずに撃墜しようとし、それに気づいたララァが制止します。「いけません」というララァの言葉、何がいけないのか、それは誤ってシャアが最愛の肉親である妹を殺害するという、人として絶対あってはいけない悲劇を絶対阻止しなければならないという思いから、シャアを制止したわけです。
その結果シャアに隙が生じ、その隙をついてアムロに殺される寸前に陥ったわけです。
ララァは自分の介入が原因で、恩人であるシャアを殺させるわけにいかないのです。そんなことになったら、彼女は生きていけません。ましてシャアが、彼女の知っている優しい人間らしい行為をした結果です。尊い彼の命を落とさせるわけにはいかないので、とっさに(アムロかシャアかを選ぶ余裕もなく)、身を挺してシャアを庇ったのだと思います。
だから肉体とは反対のベクトル、というか、理性的な精神下にある「義」もしくはそれもまた、「精神的」な愛だとするなら、彼女が精神を優先した結果、肉体を代償にした悲劇だと思うのですけど。
肉体を選んでないから、肉体を失って、精神だけの存在になったのだと思います。
元々ララァはシャアに対して大きな恩義を感じており、それが彼女にとって最優先の義であって、それが彼女の「節」、つまりは精神的愛だと言ってます。彼女は最初から何があってもシャアを選ぶ覚悟はあって、それをけなげに実行しただけとも言えます。
アムロとの感応が精神の喜びであるのはその通りですが、肉体を代償にしてもシャアを救いたいのもまた、彼女が肉体より精神の愛を選んだからではないでしょうか。
もし、仮にシャアかアムロかどちらかを殺せと言われたら、ララァは二人を生かすという選択をするために自らを消そうとするのではないかと私は想像します。
ララァが、シャアを選んだとは思えないから、その後アムロとシャアは互いを責め、争うのではないでしょうか。
ララァにとってシャアかアムロの選択とは、精神か肉体かではなく、義理か人情かに近い、出会ったばかりの愛か、より歳月を共にした愛+恩義かの選択になるのだと思います。
それぞれ解釈はあると思いますが、私はそう思いました。
http://www.gundam.info/content/192
あまりあちこち不用意に個人のサイトのレビューを読まないようにしてるのですが、「光る宇宙」の話数を調べたくて検索して、公式系なら大丈夫だろうとうっかりここのレビューを読んでしまいました。
うーん。どうもそのララァのとらえ方、違和感感じます。。。
さんざんここまで、理性より本能みたいな書き方してきた私ですが、「光る宇宙」が、
「主眼となるララァの悲劇は、アムロと精神的には交歓できたものの、結局はシャアとの肉体関係を優先したことが原因」
とは思えないのですが、、、。偉そうですみませんm(__)m、。女性のガンダムファンの皆さんはいかがでしょうか?。
ララァは、あの場面でシャアかアムロかという選択をしたわけでないと思うのです。
アムロもシャアもどちらも生命の危機に陥っていた中で、シャアを庇ったなら、シャアを選んだと言えるでしょうが。また、もし、逆にシャアがアムロを殺そうとしたら、ララァは止めに入らなかったかどうか、何とも言えないわけです。
あの場面では、アムロかシャアかでなく、シャアの死か自分の死かの選択であり、だとすれば自分の死しかララァに選択の余地はなかったと思うのです。
シャアへの愛を選んだのはその通りですが、アムロを選ばなかったわけでもなければ,、肉体の愛を選んだわけでもないと思うのです。
アムロとの心の交歓のシーンを「プラトニック・セックス」と定義されるのもなんだかなあ、あまりそういう表現が好きでないのもありますが、
肉体関係なんて男にとっても女にとっても所詮刹那的なもので、その表面的快感以上に、わかり合える喜び、魂が一つになれる喜びを男と女は求めていると思うのです。それをこそプラトニックセックスと称しているのかも知れませんが、だとすれば肉体で得られるエクスタシーはプラトニックセックスのエクスタシーを超えるわけないのです。
だいたい肉体関係の喜びも所詮脳が出す物質による快感で、精神の喜びと同じですから(笑)。
だから精神より肉体を選択した悲劇のような言われ方をすると、どうもピンと来ないのです。
出撃前にララァが唇を押さえたのは、彼女の純真な少女らしさの象徴で、シャアとは特別な関係であるが彼女の精神はまだ穢れない年相応の少女であることに変わらないということを描写していると思うのです。
また、ララァがガンダムの前に飛び込んできたあの場面で、見落としてはいけないのは、その前にシャアが妹のセイラに気づかずに撃墜しようとし、それに気づいたララァが制止します。「いけません」というララァの言葉、何がいけないのか、それは誤ってシャアが最愛の肉親である妹を殺害するという、人として絶対あってはいけない悲劇を絶対阻止しなければならないという思いから、シャアを制止したわけです。
その結果シャアに隙が生じ、その隙をついてアムロに殺される寸前に陥ったわけです。
ララァは自分の介入が原因で、恩人であるシャアを殺させるわけにいかないのです。そんなことになったら、彼女は生きていけません。ましてシャアが、彼女の知っている優しい人間らしい行為をした結果です。尊い彼の命を落とさせるわけにはいかないので、とっさに(アムロかシャアかを選ぶ余裕もなく)、身を挺してシャアを庇ったのだと思います。
だから肉体とは反対のベクトル、というか、理性的な精神下にある「義」もしくはそれもまた、「精神的」な愛だとするなら、彼女が精神を優先した結果、肉体を代償にした悲劇だと思うのですけど。
肉体を選んでないから、肉体を失って、精神だけの存在になったのだと思います。
元々ララァはシャアに対して大きな恩義を感じており、それが彼女にとって最優先の義であって、それが彼女の「節」、つまりは精神的愛だと言ってます。彼女は最初から何があってもシャアを選ぶ覚悟はあって、それをけなげに実行しただけとも言えます。
アムロとの感応が精神の喜びであるのはその通りですが、肉体を代償にしてもシャアを救いたいのもまた、彼女が肉体より精神の愛を選んだからではないでしょうか。
もし、仮にシャアかアムロかどちらかを殺せと言われたら、ララァは二人を生かすという選択をするために自らを消そうとするのではないかと私は想像します。
ララァが、シャアを選んだとは思えないから、その後アムロとシャアは互いを責め、争うのではないでしょうか。
ララァにとってシャアかアムロの選択とは、精神か肉体かではなく、義理か人情かに近い、出会ったばかりの愛か、より歳月を共にした愛+恩義かの選択になるのだと思います。
それぞれ解釈はあると思いますが、私はそう思いました。


