ログハウス

趣味の画像と家族日記。 主に児童向けの映画、書籍、TVの感想や家族の話題を徒然に綴ってます。

風立ちぬ、いざ生きめやも

Posted by ふざけおに on   0 comments   0 trackback

BS2で、堀辰雄の「風立ちぬ」をやってました。主演は山口百恵。
結核という不治の病に冒される節子と、戦争に駆り出され死地に赴く辰雄。
悲劇の純愛の王道です。
でもあれ?結核文学の原作とはだいぶ違う感じの反戦映画になってました(「ひめゆりの塔」なんかが当時の流行だったからでしょう)。
非常に劇的で力強く、特有の文学サロンに浸る若き詩人の耽美な憂愁は感じられなかったです。映画としては文学青年の感傷よりは、ストレートに感情移入できますね。

映画の主人公辰雄は、軍人のためいつ死ぬかわからないという理由で、節子との結婚を節子の父に反対され、自由恋愛が認められない時代の恋である以上辰雄は断念し別れてますが、尚、彼女への永遠の愛を誓い純潔を貫きます。叶わぬ恋の切なさに、辰雄は荒れた日々をやり過ごすのでした。
ところが、節子が結核に冒され彼女にも未来がないとわかると、節子の父は交際を認めるのでした。自分の身勝手さを恥じながら。
二人はサナトリウムで一緒に闘病生活を過ごしますが、今度は辰雄の父が将来ある息子と病人の節子との交際を反対します。
しかし、辰雄の士官である兄が徴兵される前に結婚をさせるよう父親を説得してくれたのでした。
自分も2番目の弟も、恋愛を諦め国に身を捧げ死ぬ覚悟だが、3男の辰雄だけは妻という架をつけてやって欲しい、それがあれば生きて帰らなければならないと思うだろうから。お父さんのためにも3男だけは生きてこの家を継がせなければと。
そこでやっと二人は双方の親の承認を得、婚約を果たします。
しかし戦火はいやおうなしに二人を引き裂き、辰雄は出陣します。
出陣の夜、節子は辰雄と別れた後、発作を起こし他界します。
それを隠し、節子が君を待ってるから生きて帰ってくれと辰雄に告げる節子の父親。
時は流れ辰雄は、生涯の愛を捧げた女性の墓前を訪れます。

ものすごいベタなのですが、この頃の日本文学は恋愛という両性の精神を尊重した純愛ものが普通で、そういう作品に私は身近に触れて育ちました。
恋愛とは心惹かれる異性をかけがえない大切なものに思え、若い魂が最高に輝いている瞬間だと子ども心に理解していました。
私自身の両親の間に愛はなかったのですが、本やドラマ美しい男女の恋愛を見て、人を愛することの尊さ、人間の根元的美しさを学んだのだと思います。

去年「冬のソナタ」が中高年の女性層にうけたのは、こういう純愛テイストが懐かしいからかもしれません。
私がSWのアナキンとパドメの愛に不自然さを感じず、感情移入できるのが、古典的シチュだからだろうと思ってますが、そしたら今日の「炎の舞」では友和君と百恵ちゃん草原ごろごろやってましたよーー!
「炎の舞」は昼メロ調ですが、愛する人を銃後で待つ不安に耐えかね百恵ちゃん演じるヒロインが壊れていく様が見所。最後はさんざんひっぱった末に予想通り破滅してましが、映像が直接的過ぎるのが惜しいところ。

実は私はデビューした当時から山口百恵が好きでした。ずいぶんレコード持ってましたが、どちらかというと役者としての彼女に魅力を感じてました。
「赤い疑惑」どころか、「顔で笑って」から観てましたもん。ひとでんさんも好きなようで、うれしい限りです。最近リメイク版ドラマが放送されてるんですね。
けれど山口百恵ほど、あの薄幸の美少女、病で気を失う姿があれだけ似合う人もいそうにないですね。今観ても、ものすごい情感あります。
「野菊の墓」は松田聖子でリメイクされヒットしましたが、正直派手な顔立ちで和風に合わないし、陰影がないなって思って好きになれなかったです。
民の強情なキャラに対し、百恵ちゃんは綺麗すぎですが、より悲劇性はありました。

ちなみに、「伊豆の踊子」「潮騒」「野菊の墓」は百恵ちゃんで映画化される前に、私は原作を読破してました。当時小学校でしたが、一通り「少年少女日本の文学全集」は読み終えていたと思います。
同時に色々な自分の好みでコバルトシリーズや漫画も読みましたが、最初に刷り込まれた名作は、今も自分の心を豊かにしてくれている基礎だなと、大人になってわかることです。
もちろん文学作品には、TVや漫画みたいにはまったりはしなかったですが、それらよりも先にふれていたことは確かで、何かに感動した時、その記憶に触れる物により感動する傾向にありように思いますね。

児童図書館の司書さんの講演会の話をふと思い出します。
子どもに自分の好きなものを読みなさいというと、その時代のブームになってるような(ゾロリのような)漫画チックなものに偏るそうです。
それは、子どもにスーパーに行って好きな食べ物を買って来なさいというと、添加物だらけのお菓子やジュースを買ってくるのが普通で、決して栄養のバランスや健康を考えて買ったりはしない。子どもの好みに合わせたおやつも必要だが、メインの食材は親が選んで与えないと偏食になる。それと同じで、読書も子どもの好みだけで放置していいものとは思わないとのことでした。
彼女自身の子育ての経験だと、娘さんはコバルトシリーズのような少女漫画を小説にしたような文庫本を熱心に読み、親の勧めたものにはそんなにはまらなかったそうですが、娘さんが大人になってからは、お母さんが勧めてくれた本の書いてたことを今でも思い出し、あああれはこういうことだったんだって、今でも考えるそうです。
お母さんの選んでくれた本は良かったと、自分も自分の子どもに読ませたいと言ってくれたそうです。
ということで、時代の篩にかかって残った名作、良書を子どもにお母さんが一緒に読んであげて下さいという話をされました。
より普遍的な要素が描かれた作品は、時を経ても色あせないのです。
もちろん映画でも漫画やTVという娯楽でも、通じるものではありますよね。

優れた児童文学とは、自分が子どもの時に感動と出会い、子どもを生んで子どもと一緒に読んで違う感動を発見し、その子が子どもをうんで孫と一緒に読んだ時、更に違う感動を発見するものなのだそうです。

児童文学というと、、、
アニメ話になりますが、デジモンアドベンチャー02の頃、角銅博之監督
デジアドは児童文学を目指したと、最終回頃のHPに書かれてました。
私は02の最終回で、子ども達が将来の夢を語り、それが25年後にそれぞれがその子らしい人生を歩み自己実現を果たし、今度は自分の子どもをDWの冒険に送り出すラストシーンに素直に感動しました。次世代への託す大人の願いを強く感じたからです。
生命への祝福という普遍的要素が盛り込まれた素晴らしい名作アニメでした。
孫が出来たら、親になった息子や娘と一緒に観たい作品です。
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