ログハウス

趣味の画像と家族日記。 主に児童向けの映画、書籍、TVの感想や家族の話題を徒然に綴ってます。

新しい人・ニュータイプ

Posted by ふざけおに on   0 comments   0 trackback

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小山氏の「元気玉」と同時進行で読み進めていた、大江健三郎の「新しい人の方へ」後半読み終えました。
冒頭はものすごーい退屈で、この方の幼少期青年期の体験談はあまりに出来の良い方の遠い世界で正直面白くないんですが(笑)、後半のパレスチナ問題あたりからは非常に読み応えを感じ、とても共感できるのでした。
不遜な物言いを平気でするなら、結局、小山氏も富野氏もノーベル文学賞の大江健三郎氏と同じことを違う表現で語っていると私は感じられました。
実は、大江氏の言う新しい人とはニュータイプと同義で、既に機動戦士ガンダムで20年前富野氏が若者に向けて言わんとしたことと同じだと。そう私は思いましたが、そんなこと言うと、私の捉え方に狂いがあるという向きもあるでしょう。どうか、年寄りの世迷い言とご容赦くださいませm(__)m。

以下、この本の印象に残った文章をそのまま抜きます。

子供の話ながらドストエフスキーらしいものの見方も読みとれます。人間の純粋な美しさが表現されるのと同時に、むごたらしさ、醜さも見落とされていません。とくに、子供たちの間であれ、愛情や反感がどのように複雑なものであるか、その見事な描写を皆さんの読書の楽しみとして下さい。(「カラマーゾフ兄弟」)』
ある雨の日、私が「フルフルちゃん」と「博士」の新しい冒険の話をしました。そして森のなかで「フルフルちゃん」が悪漢どもに出会って、身体がバラバラになるほどなぐりつけられる、という進み行きになってしまったのです。 まだ若かった私が心のなかに黒ぐろとしたかたまりを持っていて、そのことを考えずにはいられないような時期でした。(中略)ところが、娘が泣き叫ぶように抗議し、次男もそれに合わせました。私は「フルフルちゃん」が「博士」に真新しい女の子に修理してもらうところまで話すことができませんでした。私はあの夏の午後のことを思い出すたび、自分こそ子供たちの心のなかの大切なものを壊す悪漢だったのじゃないかと、と考えます。』

子供であれ、愛情と反感があり純粋さとむごたらしさがある真実を描かれている作品を氏は勧めています。でも一方で自分の子供の大切な空想の友達を暴力で傷つけたことを後悔しているのです。ここに一瞬、矛盾を感じたりします。原爆文学を始め、文学とは「痛み」を伴う部分が多いものだから。
でも大江氏が感じたことを子育て中の私も経験することあるので、なんとなくわかる気がします。
一見矛盾しているようですが、氏の文章で注目すべきは「心のなかに黒ぐろとしたかたまり」であり、それを表現者としてあるいは、親も含め教育者として、自覚できるかできないかの差は大きいと感じるのです。

ジュビリーに集まった文学者の討論のテーマは、「20世紀の証言としての文学」ということでした。世界のある国、ある地方で、人間がいまをどう生き、どのような苦しみと願いを持っているか、未来をどのように考えているか、過去をどのように記憶しているか?小説も詩も、戯曲も、それを表現するものです。(中略)私たち文学賞の受賞者たちは、みな自分としての、次の世代への希望の言葉を作り出したいとねがって、仕事を続けているのですが
『{イスラエルの拝外主義と好戦性に対する、私たちの答えが「共存」である。それは譲歩することではない。連帯を作り出すこと、それによって、拝外主義者、そして(たとえばビィンラディン一派のような)ファンダメンタリスト達を孤立させることなのだ。}(パレスチナ問題サイード氏の文章引用部分)』
光(大江氏の障害を持つ長男)は私らに音楽を贈ってくれました。サイードの子供たちの世代が、父親たちの苦しみの時をつぐなうために贈り返してくれるものが、美しく、励ましに満ちたものであることを、どうして信じない理由があるでしょう?』

自爆テロを行ったパレスチナの18歳の少女をどう捉えるか、文壇で論争があったようです。
大江氏はサイード氏に深く共感されており、大人が現実を動かせないならと自爆テロを行い、その犠牲によって世界中がパレスチナの現実に目を向けた効果を認めながら、「彼女のような若い人にこそ、生き続けて、パレスチナの明日のために働いてもらいたかった」と、サイード氏の真意を記しています。
その部分と、大江氏自身の、自閉症の障害児との共存の日々から発せられた言葉、次世代に伝える「希望」の確信に至った作家のメッセージに感動しました。
なんだかふと私が小さい頃から読み親しんでいた故井上靖氏のことを思い出します。この方も立派な方でしたが、ノーベル賞は逃しました。井上氏は新聞記者あがりで純粋なインテリである大江氏よりちょっと俗にまみれた方でしたが、今、生きておられたら大江氏と同じような思いを抱かれたのではないでしょうか。
サイード氏の言う排他的人々を孤立させること、共存を拒む者達を孤立させることは、それは排除ではないのだ、というあたりにもっと言及してくれると、庶民には親切だったかな、、、、
それはともかく、ひょっとして大江氏が懐疑的に捉えているかもしれないヒーローもの(例えば金色のガッシュベル!が顕著で共存とは譲歩することではなく連帯することだとわかりやすく描いている、SWもハリーポッターもデジモンゼヴォリューションも)は、一見好戦的暴力的娯楽に見えても、実のところ共存を目指す者は連携できるから強いし、共存を拒む者は孤立しいつか力を失うのだ、ということを繰り返し繰り返し描いているので、結論は同じと感じる次第です。

最後にこの本を次のような文章で氏は締めています。
敵意を滅ぼし、和解を達成する「新しい人」になってください。(中略)そのためには、どんなに思いつめても、まず生き延びていなければならない。十字架にかかって、生き返った人は、この二千年でただひとりです。そしてこれからの新しい世界のための「新しい人」は、できるかぎり大勢でなくてはならないのです。』

Zガンダムでどこか狂ってしまった感のある「人の革新」ですが、大江氏の言う「新しい人」と同じ意味があったと、それが人類の普遍的願いだと、やっぱり私はそう思ってしまうのでした。
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