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趣味の画像と家族日記。 主に児童向けの映画、書籍、TVの感想や家族の話題を徒然に綴ってます。

映画「ハウルの動く城」鑑賞日記 ~リピーター編★★★★★

Posted by ふざけおに on   0 comments   0 trackback

2回目、1号と観てきました。良かったです!!素直にじーんと来ました!
1回目と違い、観るポイントを絞れたので、ちゃんと感情移入できました。1回目は、私の観る焦点がズレてたんですね。
ハウルの心臓の謎とハウルとソフィーの二人にだけ着目して観ると、これは「若者の自立」を描いた作品だとわかります。
親の支配や既成世界との闘争、荒れ狂う自我といった思春期の混沌の嵐を抜けて、人は真の自由を獲得し、己の居場所を見つけていく様を描いた作品に、私は思えました。

今回やっと原作を読みたい気持ちに駆られて、早速読み始めてます(笑)。
1冊目半分まで読んだ感じは、ソフィーが出自の束縛から自立していく話に見えます。ハウルも読んだ範囲では、恋愛ゲームにおぼれる軟弱者に描かれてますが、彼が心を取り戻し真の愛を獲得する話だろうと予想されます。
映画のベースもきっと同じでしょう。
原作には、戦争が出てきません。だからわかりやすいし、キナ臭くないんです。映画もその方がシンプルで「魔女の宅急便」のようにライトな感覚で楽しめたと思うのですが、、、
1回目観たとき、戦争シーンがあるので戦争アニメと勘違いして、つい世界の背景を知ろうとしてしまい観るピントがずれてしまったんです。
外に女の子をナンパに出かけてるハウルだと話はわかりやすいのに、戦場で兵器を破壊してるハウルを描かれると、つい彼のポリシーに目が向いてしまって、世界に何が起きてるのか知りたくなります。
だから、若者らしい青い理想にかける「闘争」を卒業することで、人は「自立」を果たしていくんだという読みには、なかなかいかなかったんですよ~(汗笑)。
ただ、ここで監督があえて戦争のある世界を設定したことに拘りがありそうです。あくまで私の勝手な思いこみですが、なんとなくそう感じました。

以下ネタバレありの感想です。前の感想と重複してる部分もありますが、改めて。*****

○ソフィーのコンプレックス
1度目もうすうす感づいてはいましたが、ソフィーは容姿に対し大変劣等感を持っています。だから、思春期の少女であることが彼女には苦痛で、いっそ老婆になってしまえばありのままの自分を出せるのです。
自分のままの姿で美青年ハウルとあったら緊張して何も話せない、彼の美しい容姿に対し、自分の平凡な容姿ゆえに劣等感に苛まれ、彼に相手にされないだろうと自分から殻に閉じこもってしまうでしょう。
けれど老婆の姿なら恋愛対象でないという安心感から、好きに自分を出せるし、思ったことを口にできる、ハウルという美青年への恋心も母性で昇華できるので、実は無意識に彼女は老婆の姿に逃げていると考えられます。
しかし、彼女はみかけ作りに余念がないハウルが実はどうしようもないダメ男だと、その心の弱さを知ってしまいます。その弱さを知ってなお、母のように彼を守りたいと思います。
表面的な憧れの恋にとどまらず、内面を知り欠点を知ってなおその人を守りたいと思う「愛」を彼女は抱いているのです。穿った見方をすれば、ハウルに欠点があったから、ソフィーは自信を得たともとれますけどね(笑)。
母親は元恋人の復讐に怯えたり、危険な地域に身を投じるハウルを心配するソフィー。
ハウルとハウルに関わる全てを大事に思う気持ちが溢れ、我を忘れて老婆には決してできない思い切った行動が出来るようになった時、ソフィーは自分のイメージをありのまま受け入れ、元の姿に戻って行くのでした。

○ハウルとカルシファーの契約
ハウルの心は、カルシファーの命になっていました。ハウルが幼い頃、流星として降ってきたカルシファーは、そのまま死にゆく運命だったのですが、優しいハウルは自分の心臓を差し出し、彼を救ったのです。しかし、同時にそれは悪魔と契約を交わすことになったのです。
カルシファーとハウルは心臓を共有することになり、カルシファーが消えるとハウルは死ぬし、カルシファーは暖炉に縛られた自由のない身になったのでした。
その呪縛を解くには、契約の内容を見破ることだったのです。
ハウルの心であるカルシファーを制することができたソフィーは、ハウルの内面を愛せる人だったのでしょう。ソフィーにしかカルシファーを操ることはできないってことは、ハウルの本当の心を知り、呪縛を解くのもソフィーだったということなのでしょう。
ソフィーはカルシファーとハウルの契約の秘密を知り、二人を分離させ、ついにハウルに心を、カルシファーには生命と自由の獲得を可能にしたのでした。

○ハウルの自立
ハウルは、師サリマンの支配に怯え、恋愛ゲーム(火遊び)の末、荒れ地の魔女の深情けに追われ逃げています。名前を変えあちこちで色々な女性と恋に落ちるのですが、上辺ばかりを飾った関係なので、すぐ冷めてしまうわけです。
原作ではハウルは外にナンパに出かけ、口説けないと落ち込み口説き落とすと即冷め恨まれるを繰り返しているようですが(笑)、どうも映画ではハウルは外で何か戦いをしているようで、それに疲弊しているように見えました。学生運動みたいに、命をかけて闘争に身を焦がすのも若者らしさってことかと解釈してみたり(笑)。
けれども、ハウルはソフィーとの出会いで、愛する人を守るために戦う生き方に目覚めます。
ひたすらハウルの無事だけを祈るソフィーに心を救われ、やっと落ち着く場所を得たのでした。
愛する伴侶と守るべき家族を得たハウルは、やっと師(母)からも社会的にも「自立」を果たし、戦争のような思春期の動乱は終わりを告げたのです(^^)。

○母のエゴ
母を象徴するサリマンは、自分の小間使いにしている幼い弟子を、皆ハウルそっくりの金髪おかっぱの美青年に変えています。それは、サリマンの願望だから。
息子(弟子)をいつまでも自分の愛玩動物のようにかわいい姿のまま、従順に自分に仕えさせたいのです。
サリマンは息子を奪おうとするソフィーから、息子を連れ戻そうと様々な妨害をしますが、やがてその絆の深さを知り、息子の巣立ちの時を知り、その支配を諦めるのです。
男性にとって結婚は母性の交代なのかもしれないですね(笑)

○親はなくても子は育つ
千尋の両親もそうでしたが、ハウルでも親(大人)は欠点がある存在として捉えられています。親を美化しない作品は、欠点がある親でも(むしろその方が)子供しっかりするし、子供は所詮親元をいつか離れて自立していくもんだと、冷静に受け止めることができて、育児に対する過剰な気負いが和らぐ感じがしますね。宮崎監督、優しい~vvv

○自信を持って恋せよ乙女!いい加減落ち着け、野郎ども!
親から自立し愛する伴侶と共に次世代を育み、その子がまた自立して伴侶を得、次の世代を育む。。。
婚姻により、親から自立した若者達が新たな基礎集団を成すという、太古から繰り返された自然の営み、、、、
青年が所帯を持った時、子供が親になった時、人は生物学的にも社会的にも、名実ともに子どもではなく、大人になったと言えるのでしょう。

こうして焦点を絞って改めて観ると、ハウルとソフィーの清らかな愛に心打たれました。
とりとめないですが、原作読み終わったらまたいろいろ考えたいです。特にカブにかかったのろいが映画ではさっぱりわからないので、気になるところですね。
歴代興行記録を更新しそうな勢いのハウルですが、、、私は1回目は拍子抜けしたんです(^^;。でも、色々考えているうちにまた観たくなって、もう1回観たら感動できました。
ただ1回鑑賞で、大きく心をゆさぶるインパクトが薄いあたりが、宮崎作品にしては散漫な出来だとも言えるかもしれないです。

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余談ですが、、、
「アルプスの少女ハイジ」。最近心を入れ替えて見直してます。原作よりハイジのイメージが幼稚過ぎて好きになれなかった子供時代のわだかまりはなくなったので。
4話はどっきりでした。一家で釘付け。特に「ピッチ」が犬に食われたところで、3号はショックで泣き出しそうに@@;
様々なゆざぶりがあって面白かったです。そしたら4話演出が富野さんだったよ。富野さんもさすがだ!(笑)

本当は以前までのHPにアップしてたのですが、ゲド戦記公開に合わせてこっちのブログにうつしました。
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Kenji/5686/page016.html#lcn007
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