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趣味の画像と家族日記。 主に児童向けの映画、書籍、TVの感想や家族の話題を徒然に綴ってます。

宇宙戦士バルディオス ~その悲劇性 3~

Posted by ふざけおに on   0 comments   0 trackback

イデオンとバルディオス
ここまで何度かイデオンとバルディオスを話題にしてきましたが、改めて、同時期打ち切り悲劇作品(打ち切りの悲劇と物語の悲劇がかぶってますが^^;)の対比を考えてみたいと思います。

私は同時期に続きの時間帯で再放送されていたイデオンとバルディオスをTVで観てましたが、話がわかりやすくキャラクターに感情移入しやすいのでバルディオスの方が好きでした。
イデオンはその後の劇場版を映画館で観てその映像のすごさ、芸術性に圧倒され、私の中では邦画最高傑作になってる作品です。
作品の善し悪しはさておいて、どちらも悲劇という点で比較した場合、バルディオスはイデオンより悲劇的な話ではないと私は思ってます。
イデオンの方がどう考えても悲劇です。

バルディオスに残る楽観要素は、
1.まず、人類が全員死に絶えていない、地球も存在している。
イデオンは星自体が消えました;

2,生き残ったメンバー、ジェミー・オリバーらの現世での幸福は想像できる。

3,ヒロインは最期に自分の望む生き方(死に方)が出来ている。
これがイデオンでは出来ない。バカは死ななきゃ治らないのと、死ぬ前にバカが治るのとの違いですね。(私は富野イズムはバカは死ななきゃ治らないだと思ってたりして)。その上、シェリルやハルルも、カララさえも愛する人を看取ったり看取られたりするアフロディアのような奇跡的幸運を手にできていません;

4,主人公達は過酷な現実を前にしても最後まで取り乱すことなく、自分らしい善良で健全な精神を保ち続けている。
  これが、精神退行したZやエヴァとの違いでしょうか。イデオンも精神崩壊はないので、その点でいえばTV版Zの方がイデオンより不健康だと思います。更にバルディオスは個人の劣等感や心の闇にイデオンほども踏み込まない分、健全と言えば健全です

5,Sー1星になる地球の未来は、ある意味約束されている。それよりひどいことにはならないだろうと、ナウシカの時代よりは、ましなくらいの未来が予想できる。

6,あの後、キャラクターがどうしたのか、想像の余地が十分ある。
  TV版の最後だと、マリンは無自覚に命を失ってそうですが、死んだ人間とコンタクトを取れたという点でイデオン程度の救いがあります。

劇場版については更にもっと救いがあるといえばあって、彼は被爆してるのでその後の生存は厳しいだろうと想像できます、が、、、少なくとも即死はしないだろうと。
その後はご想像にお任せで、確定ではないので、あれこれ考える余地は残されています。
ガットラーの言い分を真に受けると、また時が流れれば、未来のS-1星で二人はあの灯台での再会が約束されているとも言えます。果たして未来が過去を作り、その過去の上に未来が出来るという、永遠に循環するメビウスの輪になるのなら、、、なるとしたら二人は絶対未来で再会するはずです。
実は二人は自覚ないだけで、劇場版は108回目くらい(数字に根拠なし)の運命の出会いと破局でそれを繰り返している可能性があり、更に109回目の出会いを暗示しているのだと思いました。未来でまた二人はあの灯台で同じ出会いをするか、あるいは微妙に違って、TV版を107回目とするなら、会議場で出会うくらいの、その程度のわずかな事象の差はあるにしても、その悲劇を永遠のごとく繰り返しているかもしれないのです。
それは多分、多元世界論的にはおかしくて、(これ本当にスパロボやる前に書いたんだってば、;)未来は違う平行世界へと移行し、S-1星を脱出した彼らのいない世界のまま時は流れるとも考えられます。
でもガットラーが太古の壁画になっている事実から一番しっくりくるのは、多元に分岐していく世界ではなく、おそらく一本の前後入り乱れた時間軸の上に世界は一つと考えているではないかと。
とすると、救いを求めるなら、いつか永遠と思える繰り返しの中で二人が違う選択をすれば、輪から抜けられるかもしれないじゃないかと。それを当時から私は予想してました。そこに新たな物語が生まれる可能性があるのですよ。

もちろん、余計なこと考えないで、あのままの永別でも受け止めて、二人に先はないと思った方が思いっきり泣けていいのですけど、一方でその後を想像したくなる時もあるものですから。
最近これと同種のネタを「風のレジェンズ」で観ました。井上和彦さん演じるシロンが、永遠に人類リセットを繰り返すかと思われたのところで、ある出会いから初めて世界をリセットしない選択をしたため、人類は初めて永遠の輪を抜けて歴史をその先に進めることが出来たという、、、。
バルディオスで言えば、もし二人がどこかで違う選択をしたなら、S-1星が再生へ向かうか、あるいは地球が汚染されないという未来もあり得るのです。

またもしバルディオスにおいても、多元世界の違う未来へと分岐したとして、それはそれで、たとえばあの後地球は再生するかもしれなくて、マリン達が脱出してきたS-1星とは違う青い地球の未来もありうるわけです。二人は未来で再会する可能性はなさそうにも思えますがね。
ともかく考え方次第で楽観的にも悲観的にも未来はお好み次第。(もう何でもありになっちゃうとスパロボになりますけど、笑)

一方で、あえてそういう楽観しない冷厳な結びを味わうのがこれまた一興で、それこそが悲劇の王道的味わいとも言えます。
若い時の私はあえて後者を好んで選び、愛を語り合うことはないけれどそれぞれに美しく死にゆく二人の悲劇で物語を終えるのが好きでした。
ところが最近は、何故かその後のパラレルを考えたくなります。
後の作品、オーガスやウラシマンのように、マリンを時空の歪みを生んだポイント(特異点)にしてしまえば、より救いはあったかもしれないですが、バルディオスはあれでいいんですよ。
(って、これ本当にスパロボやる前に書いたんだってば~;;)

それに対し、

イデオンはあの時代を生きた者達全員の先に想像の余地がないです。ジェミーやオリバーのような生存者がいるバルディオスと違い、全員確実に死亡した映像が出ましたから。
その分、全員死後に救いがあります。でも死んでから救われてもしょうがないというつっこみもありますし、バルディオスのように彼らが未来に存在するビジョンは読みとれないのですよ。
だから、これは地球誕生を巡る伝説ですよ、と、この伝説から我々は何を悟るかというメッセージ性がよりイデオンは強く、その分その先のキャラの未来を想像できないという点で救いがないと思うわけです。

でもひょっとして、、、これはスパロボやってから思ったことですが、同時期にゴッドシグマも放映されてたようなので、これってそれぞれみんな影響しあって、というか競って、より悲劇性を追及しちゃった結果の作品群なのかなという気もしてきました、、、、実際のところどうなのでしょうね。

ただ、前述の繰り返しになりますが、文芸の普遍的テーマである「悲恋」という一点において、バルディオスは突き抜けていると言えるし、エルチやフォウを見るたびなんとなく、バルディオスの方が逆に富野作品に影響を与えてることもあるのではないかと思うこともあります。

余談になりますが、最近何かで富野氏が何歳になっても濡れ場を描くとか、正確にその表現を覚えてませんが、要は見てる側をときめかせる恋愛を描く、と意気込んでいたと記憶しています。それがメインになるかどうかは別として、文芸において、恋愛は必要度の非常に高い要素で、富野作品には必ず入っています。アニメファンに限定するとその重要度は若干下がるのかもしれませんが。
最新作「リーンの翼」は、とてもロマンチックな悲恋でした。

ガンダム00は、それを描きたいわけでもなさそうでしたが、視聴者のニーズに合わせてその要素を入れるために努力してる感じが好感持てました。

○ハッピーエンドのバルディオス
愛蔵版で酒井あきよし氏の短編小説と、スパロボのエンディングで味わいました(笑)
その感想はまた後日にでも。

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