ログハウス

趣味の画像と家族日記。 主に児童向けの映画、書籍、TVの感想や家族の話題を徒然に綴ってます。

機動戦士ガンダム41話~「光る宇宙」のララァの選択

Posted by ふざけおに on   2 comments   0 trackback

※ララァは肉体を優先??!!
http://www.gundam.info/content/192

あまりあちこち不用意に個人のサイトのレビューを読まないようにしてるのですが、「光る宇宙」の話数を調べたくて検索して、公式系なら大丈夫だろうとうっかりここのレビューを読んでしまいました。
うーん。どうもそのララァのとらえ方、違和感感じます。。。
さんざんここまで、理性より本能みたいな書き方してきた私ですが、「光る宇宙」が、

眼となるララァの悲劇は、アムロと精神的には交歓できたものの、結局はシャアとの肉体関係を優先したことが原因

とは思えないのですが、、、。偉そうですみませんm(__)m、。女性のガンダムファンの皆さんはいかがでしょうか?。
ララァは、あの場面でシャアかアムロかという選択をしたわけでないと思うのです。
アムロもシャアもどちらも生命の危機に陥っていた中で、シャアを庇ったなら、シャアを選んだと言えるでしょうが。また、もし、逆にシャアがアムロを殺そうとしたら、ララァは止めに入らなかったかどうか、何とも言えないわけです。
あの場面では、アムロかシャアかでなく、シャアの死か自分の死かの選択であり、だとすれば自分の死しかララァに選択の余地はなかったと思うのです。
シャアへの愛を選んだのはその通りですが、アムロを選ばなかったわけでもなければ,、肉体の愛を選んだわけでもないと思うのです。

アムロとの心の交歓のシーンを「プラトニック・セックス」と定義されるのもなんだかなあ、あまりそういう表現が好きでないのもありますが、
肉体関係なんて男にとっても女にとっても所詮刹那的なもので、その表面的快感以上に、わかり合える喜び、魂が一つになれる喜びを男と女は求めていると思うのです。それをこそプラトニックセックスと称しているのかも知れませんが、だとすれば肉体で得られるエクスタシーはプラトニックセックスのエクスタシーを超えるわけないのです。
だいたい肉体関係の喜びも所詮脳が出す物質による快感で、精神の喜びと同じですから(笑)。
だから精神より肉体を選択した悲劇のような言われ方をすると、どうもピンと来ないのです。

出撃前にララァが唇を押さえたのは、彼女の純真な少女らしさの象徴で、シャアとは特別な関係であるが彼女の精神はまだ穢れない年相応の少女であることに変わらないということを描写していると思うのです。
また、ララァがガンダムの前に飛び込んできたあの場面で、見落としてはいけないのは、その前にシャアが妹のセイラに気づかずに撃墜しようとし、それに気づいたララァが制止します。「いけません」というララァの言葉、何がいけないのか、それは誤ってシャアが最愛の肉親である妹を殺害するという、人として絶対あってはいけない悲劇を絶対阻止しなければならないという思いから、シャアを制止したわけです。
その結果シャアに隙が生じ、その隙をついてアムロに殺される寸前に陥ったわけです。
ララァは自分の介入が原因で、恩人であるシャアを殺させるわけにいかないのです。そんなことになったら、彼女は生きていけません。ましてシャアが、彼女の知っている優しい人間らしい行為をした結果です。尊い彼の命を落とさせるわけにはいかないので、とっさに(アムロかシャアかを選ぶ余裕もなく)、身を挺してシャアを庇ったのだと思います。
だから肉体とは反対のベクトル、というか、理性的な精神下にある「義」もしくはそれもまた、「精神的」な愛だとするなら、彼女が精神を優先した結果、肉体を代償にした悲劇だと思うのですけど。
肉体を選んでないから、肉体を失って、精神だけの存在になったのだと思います。

元々ララァはシャアに対して大きな恩義を感じており、それが彼女にとって最優先の義であって、それが彼女の「節」、つまりは精神的愛だと言ってます。彼女は最初から何があってもシャアを選ぶ覚悟はあって、それをけなげに実行しただけとも言えます。
アムロとの感応が精神の喜びであるのはその通りですが、肉体を代償にしてもシャアを救いたいのもまた、彼女が肉体より精神の愛を選んだからではないでしょうか。
もし、仮にシャアかアムロかどちらかを殺せと言われたら、ララァは二人を生かすという選択をするために自らを消そうとするのではないかと私は想像します。
ララァが、シャアを選んだとは思えないから、その後アムロとシャアは互いを責め、争うのではないでしょうか。
ララァにとってシャアかアムロの選択とは、精神か肉体かではなく、義理か人情かに近い、出会ったばかりの愛か、より歳月を共にした愛+恩義かの選択になるのだと思います。

それぞれ解釈はあると思いますが、私はそう思いました。

ララァの死は、アムロ、シャアそれぞれに大きな遺恨となりますが、また同時に二人が心に共有する高次の精神そのものになっっています。
その共通の記憶と、今生きているセイラの存在があるから、二人は最後に無為な争いをやめたのです。

この「光る宇宙」は、4人のNTの出会いの奇跡と、その悲劇です。
あの話の感動は、アムロとララァの出会いによって、人はこういう風に進化できるという、人の輝かしい未来の予感した直後に、同種同士で殺し合いをする人類の最も愚かしさが露呈してしまうという、喜びと失意の落差であり、人間の光と陰を同時に見てしまうことにありそうな気がします。

付け加えて言うなら、シャアがもしあのまま「光る宇宙」でアルテイシアを殺していたら、もっと深刻な悲劇だったわけで、最悪の悲劇をララァは救ったといえます。そのララァの行為こそがNTの光の部分であるのだけれど、その存在を殺すのもまた悲しいかなNTだったというやるせなさ。
けれど、人間の最も愚かしい行為、人間の同士の殺し合いの中にも、暗闇の宇宙にも、人類に一筋の光明は見いだすことができるのです。
殺し合いの悲劇を止める側に力が働くのが、真のNTのありようだというのが、ガンダムでないでしょうか。

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Comment

なな says... "はじめまして"
昨日配信で「光る宇宙」を見た後、こちらのブログを拝見しました。私も女性です。
ご意見には概ね同意します。

件のレビューは、兵器・戦局・戦術などの解説が大変詳しくて、その辺の理解の助けになるので読んでいます。
しかし、人間関係や人間心理についての記述には、首を傾げるというか、むしろ笑っちゃう部分も多いです。
自分はむしろ、オタクっぽい男性の人間理解ってこんなものか、ということを学ぶテキストとして読んでるかも。
2009.08.30 14:16 | URL | #olRhzWmo [edit]
おに says... "ななさんへ"
コメント、ありがとうございます。
女性のガンダムファンからのコメントに感激です。
レビュー書かれた方は、評論家の第一人者だとか後で教わってちょっと焦りました。確かに軍事的な分析や世界観なんかを格調高いレビューで、作品の価値を高めるものばかりですよね。なんで別段、意図して批判するつもりは全然なく、私はここに関してはこう思うってだけなのですよ。
仮にララァとシャアに一線を越えてなかったら、ララァはシャアを庇わなかったかと考えてみれば、それでもララァはシャアを庇ったろうなって、思えるんですけどね。

>オタクっぽい男性の人間理解
富野さんも殿方ですから、女性の見方に分が悪いんですよね(笑)。少なからず富野さんの言動に男性陣は反応してるのかなって気もしてきました。
安彦さんは、どう捉えてるのか、ちょっと興味ありますね。

是非またコメント下さいね(^^)。
2009.08.31 21:13 | URL | #mQop/nM. [edit]

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