ログハウス

趣味の画像と家族日記。 主に児童向けの映画、書籍、TVの感想や家族の話題を徒然に綴ってます。

あさきゆめみし~恐怖!! 女三の宮の巻~

Posted by ふざけおに on   0 comments   0 trackback

ネッ友さんのコメント欄に、三の宮について語りたいと申し出たことがあります。そしたら、「私、三の宮嫌いだって言ってますよね?あんまり、源氏も好きでない。」と返されたような、、、
そりゃあ、紫の上がお好きな方には、彼女を苦しめ心身衰弱させて死に至らしめた三の宮と、三の宮を正妻に据えた源氏は好きでないでしょう。わかってますって。
私は、三の宮が好きかどうかでなく、この少女の物語に登場する意味を語りたかったのです。
三の宮が登場したことで、恋多き源氏によって苦しんだ人たちの苦悩が、まんま鏡返しのように源氏のものになるという、、、源氏の少しばかりの欲深さが業となり、まさに因果応報ならしめたねという話をしようと思ったんですよ~。
ちょうどこたつさんが、殿方は皆、連れ添った妻より、母に還るもの、という話もあって、源氏はまさしくその典型だなって。
いわゆるマザコン(それが良いか悪いかは別ですよ)で、亡くした母の幻影を生涯にわたって追い続けた可哀想な男なんです。彼も最後の最後には幻想は幻想に過ぎず、実体として本当に自分が愛していたのは、半生を共にしたたった一人の妻、紫だと気づいたのです。でもその時には、もう彼女との愛は元には戻らないという、、、、虚無感が心に染み入ります。
どんなに才気と美貌たぐいまれな男でも、全く男ってやつは~って話ですよ。、

浮舟を巡る、二人の若者薫と匂の宮の件も同じですよね。浮舟は真実の愛と肉体の官能とに引き裂かれ、二夫にまみえる自己嫌悪から身投げし、辛くも命を取り留めますが、その後出家します。そこまで追いつめられ苦しみ抜いた末、現世を捨てた彼女なのに、姿を消したのはどうせまた違う男に囲われたのだろうとくらいにしか思い及ばない、男の考えの次元の低さったら、OTL。

○源氏の業が実体化した女三の宮

紫の生命力が著しく弱ったのは、正妻の地位を三の宮に奪われたからでしょう。
心美しい紫は、醜い嫉妬心に苛まれる苦しみから逃げたくても、後ろ盾のいない彼女には、他の側室達のように帰る実家も慰めてくれる親も、未来への希望をくれる実子もいないのです。2番目に愛された側室、明石の上が強いのは、源氏との間に子供がいることと、実の両親が支えてくれるからで、彼女はいつしか源氏への激しい恋愛感情を脱し、他の奥方達も彼も共生者として捉える穏やかな愛に落ち着いています。
その点、紫は源氏との「愛」しか彼女の拠り所はなかったので、それを失う恐れに苦悩し始めることは、いわゆる愛を追う浅ましい修羅へ(六条の御息所のような)と転落することになるのです。逃げる愛を追うのは惨めなもので、そうなる惨めさを味わうより、煩悩を脱し出家すること、穏やかに死期を迎えることだけを紫は求め始めるわけです。
さていかに紫を傷つけたかに気づき狼狽した源氏が、必死に彼女の愛を取り戻そうとしても、もう紫は寄る辺ない自分の立場を知ってしまった以上、不安に苛まれ彼の愛を引き留めるような浅ましい女になるよりは、と、事実上三の宮から源氏を引き離した、嫉妬深い妻と言われるよりは、身を引くことを考えてしまうのです。

40を過ぎた(と記憶してます)源氏が、長年連れ添った紫を傷つけてまで、先の天皇の娘、それも親子ほど年の離れた女三の宮との縁談に応じた理由は二つありました。
一つは、自分の妻達に皇室の血を引く高貴な女性がいなかったこと。准天皇となった自分の地位にふさわしい飾りが欲しかったのだと思います。まさしく業です。
二つ目は、三の宮が藤壺の遠縁に当たること。永遠の憧れである母似の藤壺の面影を求めて、藤壺の姪にあたる幼い紫を妻にし、彼女が最高の女性だったことを思えば、同じように三の宮も最高の女性でかつ紫より若い。代替えを手に入れられるかもしれない。好色な源氏の、常に手に入れがたい女に強い興味を示す性です。
ところが、その三の宮は、藤壺にも、当然紫にも、似もつかない、幼稚で父親以外の人は空気と同じくらいにしか思っていない感情の薄い少女でした。その上、ガードの甘さから柏木と関係を持っていまいます。愛してもいない柏木との不義の子(薫)を宿してしまい、更にそれを迂闊にも源氏に悟られてしまうのです。
さて、そこからの源氏は、三の宮と柏木に対し、浅ましい姿に身をやつします。
三の宮を愛しているわけではないのに、自分のものである女を若い男に寝取られた悔しさは、源氏の誇りをひどく傷つけます。若いもんに負けるとは、光源氏も地に落ちたと、何かというとどうせ自分は若くないからと、卑屈なひがみを口にし、二人に辛くあたるのです。時の最高権力者ににらまれた若い柏木は、やがてストレスで死んでしまいます。
いたたまれない女三の宮は出家を望みますが、源氏は義理の兄である朱雀院への面子や世間体を気にして、三の宮の不貞をひた隠し、仮面夫婦を演じようとします。
しかし朱雀院は最愛の我が子三の宮を心配し、お忍びで三の宮を見舞いますが、その時、三の宮は父である朱雀院に出家を懇願します。何一つねだったことのない娘が初めて父に願うのは、世を捨てることだったとは、、、よほどのことと理解し、この結婚が娘の幸せではなかったことを朱雀院は悟るのです。
美しく世間から誰しも敬われる義弟、時の最高権力者源氏に嫁げば、娘も他の多くの妻達の様に幸福に余生を送れると信じた父院の誤算だったのでした。口にこそしませんが、朱雀院は源氏にひどく失望したことと思います。因縁あった兄と弟、権力抗争に巻きこれたものの、お互いを敬愛し、互いの幸福を願う源氏と朱雀院だけに、その兄の期待を裏切った結果になった源氏は、院に対する申し訳なさと苦い挫折感を味わうのです。(朱雀院は二の宮も幸福な結婚になっていないので、朱雀院の人生はさんざんだったような)
ここに至る源氏の人生は、不遇の時さえも意味があって、今や一点の曇りもないほど完成されていたのに、ここに来て崩れ始めます。
頂点にあるにもかかわらず、もっと良いものを求めた彼の貪欲さが、結果神とも喩えられた輝かしい彼を、惨めな初老の男に変えてしまったのでした。
だから欲を出さず、三の宮を相応の夕霧(源氏の息子)の妻にと、院に進言しておけば良かったものを、、、
ここで諸行無常、どんな才気と人望に満ちた人でも、人生勝ち続けることなどないことに気づかされます。
圧巻は、柏木の死です。かつて源氏に捨てられた六条の御息所が、無意識下とはいえ高いプライドゆえに生き霊となって、恋敵をのろい殺し、その高いプライド故に自分の浅ましい姿を死んでも恥じ続け、苦しみ続ける修羅となったのですが、、、結局、源氏は柏木という将来有望な若者を、憎み殺してしまったわけで、六条の御息所と同じ境地に落とされたわけです。六条の方は年上の未亡人であることで、若い源氏が若い女に惹かれていくことを、耐え難い恥辱に感じていましたが、今や源氏も幼妻を若い男に寝取られたことで同じ屈辱を味わうわけです。
また、彼が多くの男達から女を奪ってきたように、彼も奪われる男の屈辱を噛みしめることになるのです、
また不義の子を抱く源氏は、父桐壺帝の苦悩に思い及びます。
冷泉帝は、源氏と藤壺の不義の子でしたが、父は真実を知りながらも、最後まで息子である源氏も、自分の子ではない冷泉帝も心から愛してくれたのでした。その父の心意気に思いを馳せ、その大きさに比べ、源氏は自分の矮小さを思い知るのです。
こうして恋多き源氏が、若い頃他者に与えてきた多くの苦しみの報いを受け、煩悶するのです。とどめは最愛の妻との死別でした。
心身ぼろぼろになった源氏は、果たして幼い無垢な薫を見た時、その輝かしい生命を愛さないでいられない自分に、彼は大きな救いを得ます。源氏の醜く浅ましい心を、その幼子は愛で見事洗い流してくれるのでした。
父が、彼と冷泉帝を深く愛したように、彼もまた薫を愛することが出来る!!それは彼が父性愛によって守られて来たから、それをまた次の世代に注ぐことが出来るのです。
源氏物語は、マザコン男の雅であはれ&哀れな物語ではありますが、そこに同時に「父性愛」の連続という感動も見逃してはいけないと思うのです。

というわけで、女三の宮は恋多き源氏によって、苦杯を舐めた人々の怨念が実体化したような女だったと。恐怖だよなあ。。。という話です。
かわいそうではあるんですけどね。一番可哀想なのは朱雀院だと思います。柏木も不幸だったね~。
だから、それを分かる源氏の苦しみも大きいのですよね。
ざまみろ源氏、最高の奥様がいながら、40過ぎてまで女遊びするからだろって言いたくもなりますが、でも登場人物それぞれ、行動に理由があって、人の業を考えさせられる物語ですよね。
原作だともっと源氏が六条に冷たい印象あったのですが、あさきゆめみしだと、源氏は六条が最も自分を愛してくれることを分かっていて、好きなんだよね。六条への憧れが身代わりとしての明石の上へ、母の身代わりが藤壺、藤壺の身代わりが紫、というわけで常に若い身代わりであたっていたので、三の宮で外れるとは思ってなかったんでしょうね。

最近、1号が古典の予習で、桐壺の章を訳してるのを見ながら、1号にはまだまだこの世界の深い味わいはわからないだろうなあと思います。

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