ログハウス

趣味の画像と家族日記。 主に児童向けの映画、書籍、TVの感想や家族の話題を徒然に綴ってます。

物理学者に花束を~宇宙戦士バルディオス~その愛(5)

Posted by ふざけおに on   0 comments   0 trackback

○悲劇の科学者
アフロディアの初期設定の名前はベルバランだったそうですが(@@;オスカルと全然似てないーー;)、彼女よりベルバラン
なのは悲劇の王妃マリーアントワネット似のクインシュタイン博士。
知的で優美で毅然とした32歳の才媛は、アフロディアと好対照で情に流されることがありません。時に冷徹なほど厳しい判断を下すのですが、実のところ内面には細やかな情愛を持っている女性です。
最初、月影長官らがマリンを異星人としてしか見ていなかった頃、何故かクインシュタインはマリンに全く偏見を持っていませんでした。
マリンは一見冷たいクインシュタインに反発もしますが、元々研究者だったマリンは、知識層同志思考回路が近いので、博士が一番の理解者となっていったようです。
物語上、マリンの母親は登場しませんが、クインシュタインがその役割なのかもしれません。
さて、その美しいクインシュタインの悲劇とは、彼女が生涯捧げた科学が、彼女の大切な人を奪っていく物語だったことです。
科学は人を救い、人を幸せにする文明なはずなのですが、、、、、結果的に彼女の大切な人を次々に死地へと赴かせたのは彼女の研究成果でした。
この物語の冒頭、人類を破滅させたのは、軍人なのか科学者なのか、、、第1話のレーガン博士のジレンマに通じるものがあります。
それは過去の偉大な物理学者達が抱いた苦悩に似ていますが、しかし彼女ほど身近に愛する者を自らの研究で次々死なせ、その上世界の破滅を目の当たりにした物理学者は、歴史上実在しないのです。

○狂気の元カレ 
おそらく彼女が最も純粋に愛したと思われる元婚約者のネルド。彼は、研究挫折の失意から、狂気へと向かいます。聡明で美しい恋人より、志半ばに倒れた恩師とその研究の方が彼にとっては重要だったと、、、
ネルドは愛を失い、自分達の研究を否定した学会・社会への憎悪に満たされます。
これがやがて彼女が、憎しみの前に愛は無力、という持論に向かう原体験かと思われます。
彼女もまた愛を忘れ、研究に没頭したのでしょう。
そんな中ネルドが自らの研究を敵に売り渡し、大量殺戮兵器にしてしまったので、それを対抗するメカを開発し、彼女自身の手で、昔愛した男を葬り去るのです。
かつて愛した人であっても、人類の敵であれば、毅然と自らの手で撃つ女性に、マリンは何を思うのか、、。やがて、マリンも博士と同じ選択をすることになりそうです。

○愛のために死ぬ青年 
29話「地球氷河期作戦」で、デビットはクインシュタインに愛が無力でないことを証明します。彼女は、人は愛のために死ねることを教え子から教わったのです。けれど、結果的に彼女の研究は、マリンかデビットか、どちらかの若者の命を代償にする技術だったという、、、科学で救えなかった命の尊さと、それを奪った敵への憎しみもその胸に刻まれたことでしょう。

○心に秘めた愛さえも 
クインシュタインは妻子ある長官に、いつしか静かな思いを寄せています。しかしその長官の死の床をまたしても、彼女は提供しなければならないのです。
思いあまった彼女は今生の別れに、月影に愛を告げようとしますが、、、、彼はそれを押しとどめます。道ならぬ恋だから、、、別離が辛くなるから、、、。
かつて青春を共にし婚約までした男を自ら殺し、その後自分に愛を抱いた青年が彼女のために特攻し、それただけでも、彼女にとって重すぎる記憶なのに、、、

彼女の悲しみは想像を絶するものがありますが、彼女はそのたびに気持ちを次なる目標に切り替え、新たな困難の解決に立ち向かいます。
尋常ならぬ精神力ですが、、、果たして、彼女はその悲しみを乗り越えられる人なのか、それとも無理をしていたのか、、、、
終盤、彼女は純粋に人類と地球のために戦い続けたのか、愛する者の弔い合戦で戦ったのか、、ちょっと考えてしまいます。
また彼女はアフロディアを眉一つ動かさず衆人環視の中で拷問しますが、アフロディアが地球に来た真の目的を、もし聞き出すことに成功していたなら、クインシュタインはどう思うのか、、、、。映画の感じでは誰一人わかってなさそうでしたが。
その点、デビットの真意をわずかでもわかっている人がいる分、良かったのかもしれません。


○知識層の使命感
劇場版とTV版の公式あらすじでは、クインシュタインらは生き残っていると思われますが、、、
TV版の最終回の初期シナリオと、小説版のBFSの結末は同じで(すっかりこの部分、忘れてましたー)、地球に帰還したマリンを追って3人は被爆死を覚悟で、外に出ます。
(TV版のようにマリンが一人なら、BFS総殉職で絵になりますが、、、劇場版のようにもしアフロディアを連れているとしたら、やや複雑な光景になりますな。ま、それはまあ置いといて、、、)
世界の破滅に絶望する間もなく、それまで気を張って凄惨な世界から、わずかな人命の救助と、人類の生き残りをかけて尽力してきたクインシュタイン、、、
それは彼女が、持てる精神力・生命力全てを使い果たすかのように、最後の仕事と決めていたようです。、愛する人を次々送り出して来たクインシュタインは、やっと重圧から解放され、永遠の休息を求めたのかもしれません。
残された者には生きてなさねばならぬ務めがあるとお説教が聞こえてきますが、こと彼女については、何故かそれを責める気になれません。
原民喜が、「夏の花」を書き上げた後、奥様を追って自殺したことを思い出します。原爆の地獄絵を見た人間、それもインテリであればなおのこと、事後に命を削ってでも自分の使命を果たそうとするわけで、けれどそれを終えた時、生き続けることに背を向けたくなる人間の気持ちもわかるような気はします。
もちろん、博士には生き延びた人類を導いてくれる強いカリスマであって欲しいですが、、、、

○偽善は悪、偽悪は善
ネルド登場前から、博士はマリンを信じる理由を、「父を殺された復讐心」の強さとしてしましたが、人はその人の行動理由を善意から来るものと言われるより、、悪意によるものという方が信じられるというシニカルな視点です。
また彼女はマリンに「憎しみの前には愛は無力だ」と言い放ちますが、、、その真意を考えてしまいます。
それがクインシュタインの本心だったのか、そう思いこみたかったのか、いろいろ考えさせられますが、それとは別にこの作品の面白さとして、偽悪者が多いということに思い当たります。
一見冷たそうに見えて、実は優しいクインシュタイン。友を売ったように見せて、友情のために散ったフリック。地球を裏切ったように見せていて、実はアルデバロンを欺いたマリン。マリンを憎んでいるといいながら、愛しているアフロディア。気障で嫌な奴に見えて、実は純情ボーイだったデビット・・・・
人間の行動理由が、悪意によるものだと思わせておいて、ところが実のところ善意だったという見せ方は、正面切ったストレートな善を見せられるより、極めて人間らしい人物の中に善良さがあることをより信じられる気がします。
偽善は人ってこんなものかと人間嫌いになりますが、偽悪は人って案外捨てたものでないと、より人間が好きになれそうです。

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