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趣味の画像と家族日記。 主に児童向けの映画、書籍、TVの感想や家族の話題を徒然に綴ってます。

ガンダムエース9月号過去から未来への歴史的対話「富野由悠季安彦良和対談」感想 Part2

Posted by ふざけおに on   0 comments   0 trackback

2,名作「ターンAガンダム」
僕が本当の意味でガンダムについて改心したのはターンA。ガンダムの富野として一応の幕引きもできたなと納得できたのがターンAという作品。」
富野氏にとってターンAガンダムは特別な作品らしく、一ファンとしてすごくうれしいです。だって私が富野氏に再度魅せられたのは、このターンAガンダムでした。
アニメを離れて10年余、子供と一緒にキッズアニメを見始めた頃で、まだ私には富野氏にこういう固定観念がありました。偶然「ターンAガンダム」という番組名を新聞のTV欄を眼にした時、「まだこの人、ガンダムを作り続けてるの?あれだけこっちには卒業しろと偉そうに言っておきながら、、、まだガンダムにはまってる若者っているのかな?」となんか悲しい気持ちになった記憶があります。
その苦い壁を壊してくれたのは、「デジモンアドベンチャーはガンダム、02はイデオンなんです。」というデジモンスタッフさんの一言でした。こんなに良質なキッズアニメ、デジモンを作ったクリエーター達が、如何に富野作品の影響を色濃く受けているかを理解し、富野氏の光の面を思い出したのです。また02で一乗寺賢を好演した朴ろ美さんの主演デビューがターンAガンダムと聞き、俄然興味が湧き、慌ててターンAを見ようと映画館に走りました。そしたらちょうど前日に上映終了になっててがっくり。
その後CSやレンタルでTV版を見始めたのですが、、、これがもう、言葉にならないほど素晴らしかったです。
登場する人々の生活感溢れるリアルな息づきと、心健やかで善良な人々の織りなす人間模様に、人間愛と魂の癒しを感じました。最終回の過去の棘が抜け落ちるカタルシスに、さすが富野氏だと、よくぞここまで名作に描ききったと拍手喝采。
それは「罪と罰」の主人公ラスコーリニコフが結末に到達した慈愛の境地に、読者が強く心打たれるのに似ているような気がします。

問題はターンAはヒットしなかった。ヒットしないかぎり、作家は作品の説明をしてはいけない。」
富野氏はターンAへの思い入れをほのめかしつつも、敗戦を弁解するのを潔しないのか、冷徹に結果を負おうとするようです。このストイックさがプロを自負する富野氏の魅力的一面です。
作品がヒットしないということは、そういうことなのでしょうけれど、、、。
人生の酸いも甘いも知る熟年層ならこうもひしひしと伝わってくる文芸的円熟は、Zガンダムの不健康さや派手なMS戦と硬質な軍設定を求めるメインターゲットの若者にはなかなか魅力的には映らないのかもしれないと思えます。
だから私は、この作品にガンダムの名がついてるのが、悪いのだとさえ思いました。ガンダムを卒業した人にこそ、見てもらうべき富野作品なのだと。
まだガンダムAが発売される前だったと思いますが、名古屋TVのガンダム公式HPにも、相変わらず富野氏が「大人になってまでガンダムを見てるな」みたいな厳しいコメントをお寄せになっていた頃と記憶しています。まだ富野氏がガンダムを今ほど受容しきれてなかった頃だったのでしょう。それなのに、か、それだから、か、その痛みの中であのターンAを発表できたというのは、ある意味驚異的な作家魂であり、彼の「強さ」だと思えるのです。
ターンAガンダムは短期的に見てヒットしなかったのかもしれませんが、長期的に見ればこの作品の良さが広く浸透して行く日もあるのではないかと、ファンとしては期待したいのです、、、
全てのガンダムを内包し受容する作品として、再度映画化がかなったら、富野ファンとしてこんなにうれしいことはないのでした。

安彦「彼(福井君)が原案を追い越して書いたオリジナル部分のほうが、僕は駄目だった。」「ターンAというのは名作だったと気づいた。今の富野さんの説明で腑に落ちた。あれはファーストの呪縛から吹っ切れているんだ
恐らく安彦氏はターンAガンダムのタイトルを見た時、私と同じ微かな嫌悪感を抱いたのでないかと思います。「ジオリジン」連載開始の頃までは、多分。
後に安彦氏がこの対談で触れてますが、NTの一人歩きによって主題がずれたガンダムを修正したいという、彼の作品への違和感が熱意となって、「ジオリジン」への挑戦になったのだと思います。その彼が、ガンダムエース発刊からしばらくした後のインタビューで、「以前イベントでファンにターンAガンダムをどう思うかと聞かれ、見てないし、興味ないといったつれない回答をしてしまった。が、最近内容を知る機会があって、驚いた。これは名作だ」と述べられたと記憶にあります。
恐らくですが、私が感じたものを、安彦氏もターンAで感じたのではないかと。何のことはない、奇しくも安彦氏が、ジオリジンでリベンジしたかったことを、既に富野氏がやっているということで、安彦氏は富野氏が何か突き抜けたのだと、感づいたと思われます。そこで恐らく安彦氏は富野氏に対し強く興味を惹かれたでしょうが、「ジオリジン」の制作にブレが生じるのを恐れてここまでの間、富野氏との接触しなかったのではないかと想像します。「ジオリジンも佳境に入って来たところで富野さんの話を聞いてもそうブレることはない」ところまで来て安彦氏は、やっと富野氏との再会を果たしたのしょう。
二人の大御所のキューピットはターンAであることを思えば、「ターンAガンダム」は作家富野氏の過去の功罪を全て許容させるだけの大きな作品であると言えるわけで、その観点から注目すると新たなこの作品の魅力を見いだせそうです。


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そうそう、以前、ネッ友さんのドロンパさんが、ターンAガンダムを映画化するとなると、捕らぬ狸の皮算用のような仮定の話を積み上げてましたが、、
王様は総監督富野氏、監督福井氏になるのではないかと予想し、憂えておられました。が、それはないと直感的に(というか、以前の富野氏と福井氏のガンダムエース紙上対談が根拠ですが)私は思います。
富野氏は福井氏に一目置きつつ、共に歩むことはないだろうと。お互いの才能を尊重しつつ、どうしても妥協しえない「違い」というか「拘り」がそれぞれにあることに、双方気づかないわけがないと思うからです。
例えば、富野氏はラスコーリニコフの境地を知るでしょうが、福井氏はそのことに価値を見いださないのではないかとか。

まだまだ、このとりとめない感想、途中中断するかもしれませんが、続きます。(と、思います。)
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