ログハウス

趣味の画像と家族日記。 主に児童向けの映画、書籍、TVの感想や家族の話題を徒然に綴ってます。

窮ピカチュウニャースを噛む

Posted by ふざけおに on   0 comments   0 trackback

WEBアニメスタイルの首藤剛志のコラムが面白いです。なんかすごい身を削って書いてる感じもして切なさもあるんですが、作家で精神科医の北杜夫氏が躁鬱病で大変だーってのを思わせるユーモアもあって、表現者の持つ重厚なエネルギーに惹かれるものありますね~。
これはもう一度ポケモン映画見直さないとって気分にさせられました。
で、久々にレンタルDVDで、「ミュウツーの逆襲」と「ルギア爆誕」(一部傷ついて再生されなかったOTL)、「ミュウツー我ハココ二アリ」を子供らと一気に見ました。1号2号が懐かしい~vv3号は、このあたりはまだ赤ん坊だったので知らないみたいで真剣に見てました。3号は見終わって、うるうるしながら、面白かったよ~と。

私の当時の初見の印象では、「ミュウツーの逆襲」が、SWみたいにエピソード1からの始まりでない冒頭が、マニアックに凝ってる作品だな~って思ったものです。話はTV版に比べ重いなあと思いましたが、入場料取って見せる映像だから、テーマ性を重視してるんだろうと。
そのため、子供が大きくなって見直しても、それぞれの年代の目線から外れない、広い層を満足させる映画になってると思います。

当時、正直あのラスト、オリジナルとコピーの争いを主人公が止め、コピー達が自分達の居場所を求めて去っていくというオチは話からして当然過ぎるほど当然なので、特に気にならなかったくらいなんです。
いわゆる自然の文法通り、何故この世に産まれたのか?、その理由や目的の前に誰もが存在しているわけです。
SEEDのクルーゼのように、テロメア短いクローンである恨みから世界を破滅させたいほど、ミュウツーはやさぐれてない、極めて善良な心を持ってました。
だったら、ぶつかりあってお互いの痛みを知って、存在を認め合うしかグッドエンドオチはないでしょう。
どうも、上層部(N堂ですか?)があの終わりが不評だったらしいと首藤氏は記されてますが、、、まさかオリジナルのポケモンと同じ姿をしたかわいそうな出自の生命を、力で倒し勝利して終わりにするつもりだったのでしょうか@@;おいおい。
昨日の自分を見るように同じ姿をし、心を持つ生き物と涙流しながら殴り合ってたら、お互いの痛みが分かりすぎるほど分かるわけですから、その争いをやめさせるのが人間性だと思うのです。人間性を捨て争いに狂奔し続けたら双方破滅するわけで。

話の流れとして、そういうのが当然と思ってたのですが、、、

実はハガレンのアニメ版や龍騎・エヴァを見て、そういう価値観が失われつつあるのかなと気になりました。
犬に変えられた幼女は殺されて仕方がないとか、母親の姿をした錬成物を主人公が刺し殺せるのが勇気とか(その上やたら映像がグロい)、好意を抱く女友達のハイパー化した肉体を絞殺できるのが勇気って??とか、植物人間になった恋人を蘇らせるために人殺しするのが純粋な思いだとか、、、、、何かこれ違うでしょ!
(私にはそう思えますが、これらの作品の好きなところもあるんです。お好きな方ごめんなさいm(__)m)
相手を殺せない方が、より人間的じゃないの?なんでそんなに泣きながら殺すことがかっこいいの?って違和感ありました。
それも子供向け時間枠の番組でこういうのって、どうなんでしょう。
この違和感って、昔話でいうと、母親と母親に化けた鬼が赤子の引っ張り合いをした時、泣く子がかわいそうでつい手を放した、引っ張り合いに負けた方が本当の母だと、立ち会いの僧侶が見抜いたって話ですが、ちょうどこの話で言うと、子供を引っ張りとった方が勇気ある母の勝利という話になってる感じです。不自然なんです。とっても。

その点「ミュウツーの逆襲」は、オーソドックスな普遍的価値観通りの物語なんだと思います。(発想や表現は斬新なのですが、価値観自体はしっかりしているという意味で)
SWで言えば、命より大切なライトセーバーで私情を捨て公に尽くすことを使命と教わった主人公が、最後にジェダイの命であるライトセーバーを捨て「(悪の機械人間であっても)父を殺せない!」と言った瞬間、主人公ルークは真のジェダイマスターになったのに重なります。
サトシはポケモンにバトルして勝利するこそが目標であるポケモンマスターなのに、バトルをさせないことを選ぶことで、真のポケモンマスターになる資格を得たのだと。そういう話かな~て思って見てました。
首藤氏は、アニメ杜子春の脚本も担当されたそうですが、なるほどです~(^^)杜子春も実は本質は似ていて、仙人を目指すものの、愛する者の傷付きを無視してまで、目的を果たそうとすることは、勇者や仙人である前に人としてその資格がないのだという話に思えます。

それから、私を作り手が絶対それを意識してる作品群の一つと思っているのですが・・・
ルールに則ったフィールドでのスポーツの試合と、命を奪う殺し合いは違うってことです。
過剰な暴力の抑止を心がけている作品だと思うのです。
ゲームのバトルは楽しいけれど、実際に他人を殴ったらは痛いし、殴られたら痛いんだよ。悲しいんだよと。
でもだからといってゲームやアニメの中で、スポーツとしてのバトルを楽しむことを否定しているわけでない。

以前、大阪教育大学の教授が、NHKの番組で、子供達の漫画・アニメやゲームと攻撃性の問題を講義してました。(どっかにそのログあるはずなんですけど、、HP膨張しすぎて、見つけられない。検索にうまくかからないし;;見つけた方、教えて下さい。)
その中で、昔の時代劇では、悪に対しても峰打ちしたり、慈悲をかけたり、映像の中のバトルを娯楽として楽しみながらも、やりすぎてはいけないよという、過剰な暴力の抑止を潜ませていたものだそうです。そういう描写が子供の見る漫画やアニメにあった方が良いという話でした。

こういう教育的視点が殊更うるさい諸外国に向けても、見事に理にかなった児童向け作品に仕上がってると思えます。この映画が、世界中の子供達が一番多く見た日本の映画であることは、次世代への影響を考えた時、胸を張れる我が国のアニメ作品だと言えるでしょう(^^)。

ポケモン

そういや、1号、2号は、「ミュウツーの逆襲」や「ルギア爆誕」のビデオが家にあったので、繰り返し繰り返し見てたんですが、ちょうど私は1号出産前後で音聞いてるくらいだったんです。
子供らは保育所でTVを見てて、映画館には私が連れてって一緒に見たと思います。でも3号をだっこして見てたので、6作目まで見ましたが、一番印象あるのは3号目線で刺激のないジラーチだったと思います。
こっちは地方なので、TV東京系のネット局がなく平日4時半放送だったので、子供が小学校に上がり私も2年ほど勤めたので、だんだんリアルタイムで見なくなって、周囲の友達もそんな感じで、日曜朝9時放映のデジモンの方が小学校で流行ってたという印象です。
ところが、1号が今高校に上がって、オタ仲間がポケモンとワンピースファンで、デジモンをぱくりと冷たく言われたとショック受けてました(笑)
いずれ、今の高校生はデジモンポケモン世代ですな。うちのパパが生徒を係に選ぶのに、「○○○!キミに決めたー!」というと、「俺、ポケモンですか?」と応じるそうです。当時パパは子供がうるさいと、1・2号ボールへ帰れ!と怒鳴ってましたよ(--;

そもそもディズニーとサンリオと教育TVのアニメしか見てなかった1号と2号が、保育所の友達みんなの影響で、ポケモンの話をするようになったのは、11年前でしょうか。うちの子供にとってバトルのある商業アニメを見るのは初めてで、私もガンダムを卒業して以来久々でした。
久々に出会った作品に、首藤氏の名前がクレジットされてて、ロケット団見て、思わずゴーショーグンのノリを思い出したものです。

この画像のピカチュウ、6,7才の頃1号が一人遠い病院に入院してた頃に、親戚から贈られたものでした。どんどんデータ悪くなってって、小学校の入学式はランドセル背負って外泊で行ったものです。私は3号出産した頃で、産後鬱が重なっていろいろしんどかったですねえ。
その頃、1号のベッドにこのピカチュウがいました。私が面会に行った日、ちょうど主治医の小児科医が「あ、ピカチュウだ」と頭に載せたので、1号が「これ、等身大ピカチュウなんだよ」と。先生は「体重は何キロくらいかな」って言うんで、私が「30キロくらいでないですか?」というと、「お、重い」とふざめてよろめいてました。そうだよね。そんなに重いわけないじゃん!とか(笑)。ずいぶんピカチュウに慰められたものです。
思い出は尽きません。

で、今こいつは、テリアモンと一緒に3号のベッドにいます。片耳焦げてますけど(^^;ごめんよピカチュウ


とりとめなく思いついたことつらつら書いてますが、この話題続きます。
雪の中、子供迎えに行かないと。窮鼠猫を噛むで、あわただしい師走です。
関連記事
スポンサーサイト

Post comment

管理者にだけ表示を許可する

Trackback

trackbackURL:http://fuzakeoni.blog3.fc2.com/tb.php/430-cf92e70f