ログハウス

趣味の画像と家族日記。 主に児童向けの映画、書籍、TVの感想や家族の話題を徒然に綴ってます。

めぐりあい

Posted by ふざけおに on   0 comments   0 trackback

※この記事は今もアップされてます。過去ログの間「恐怖のふるやもり」にありますが、一応続きになってる話題なので転載しときます。
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「めぐりあい」で密かに泣いてしまって以来、つい昔のことを色々思い出してしまった。

アニメとのめぐりあいというと、白黒テレビで観た「海のトリトン」はとりわけ印象が深かった。あの最終回の価値観逆転は、かなりその後の私の物の見方に影響を及ぼしたと思っている。
02最終回の及川の心の浄化を観た時、「海のトリトン」や「ガッチャマン」の最終回に通じる物を感じ、子供のときに感じたあの気持ちに久しぶりに再会した気分だった。
02最終回を入院中の病室で観た1号は、「及川にパートナーデジモンがいたんだよ。かわいそうだったよ」と放映後即、電話で感動を伝えたきた。私の感じた何かがこの子の心の中にも輝いてくれたら、幸いである。

私がアニメというジャンルを意識して、考えるようになったのは、小学校6年生くらいだろう。その後、夢中になっては、時に離れ、また夢中になる、という断続的付き合いだ。
もちろんもっと小さい時から観てはいたが、具体的にそういう関係の本を買って読んだりするようになったのは、年の近い従妹が好きだった影響で、高学年からである。
お年玉で「海のトリトン」のレコードを買った日から、私の将来は運命付けられていたのかもしれない(笑)
レコードのジャケットのトリトンの髪が緑なので素直に驚いた。

2002年04月23日

めぐりあい、アニメ(2)

海のトリトンのレコードを買った頃と同時期と思うが、「宇宙戦艦ヤマト」が再放送後大きなブームになりつつあった。
「宇宙戦艦ヤマト」は夜7時からの放映で、我が家ではNHKニュースと兄の好きな「猿の軍団」にはさまれて、年少の私はチャンネル争いに負けるため、ほとんどリアルタイムでは、観ることができなかった。ラスト数分つけて観ると既に「地球滅亡まであと何日」というフレーズ;
これは我が家特有の現象ではなかったのか、本放送では視聴率低迷で特に注目もされなかった「宇宙戦艦ヤマト」が、再放送で短期間にまとめて放映されたのがきっかけで、子供達の間で人気に火がついたらしい。

私はその頃アニメ年鑑のような雑誌を熱心に読んでいた。私は地方に住んでいたため、民放ネット局がTBS系とNTV系2社しかなかったので、実際の中央でのリアルタイムとは違うし、放映されていない名前だけしかしらない作品もあり、こういう資料本で、内容や放映時期を知ったものも少なくない。
大好きな「海のトリトン」と「宇宙戦艦ヤマト」の監督が西崎義展氏と知り、非常に興味を抱き始めた。追って、宮崎氏富野氏の名前も知ることになるが、その頃はまだはっきりとは認識していなかった気がする。
「バビル2世」「デビルマン」の少年漫画が好きだったし、漫画家ではサイボーグ009の石森章太郎氏、声優ではガッチャマンの森功至氏あたりが自分の好みと一致していた。
一方、比較的マジンガーZ等のロボットアニメは、さほど興味が湧かなかった。ダイモスやボルティス5は熱心に観たが、ロボットの戦闘シーンには抵抗があり、人物の出ているシーンばかり追っていた。

2002年04月24日

めぐりあい(3)

中学時代
「さらば宇宙戦艦ヤマト ~愛の戦士達」
最初に若桜木虔氏の小説で読んで、一晩泣き明かした。
だいぶ遅れて、地方でようやく上映された映画を観て、この作品が終わったことを実感した。沢田研二の「♪その人の優しさが花に勝るなら~」流れる歌に合わせて銀幕に浮かぶ文字を追いながら、涙した。永遠に旅立ったヤマト。大好きな古代進は死んでしまった、、、、2度と帰らぬ人への別れを悼んだ。

その頃の特別企画で、深夜放送オールナイトニッポンに西崎氏が出演した。低音が魅力のデスラー(伊武雅刀)に声が似ていたので、西崎デスラーと呼ばれていた(笑)。
彼が古代進の台詞「僕達に必要だったのは愛し合うことだった」や、それぞれのキャラの台詞を取り上げて、熱心に「これはこういうことなんだ」と解説するのをうっとりと聞いた。私は彼を教祖のように思い、畏敬の念を抱いた。

と、こ、ろ、が~~「宇宙戦艦ヤマト」は不沈の戦艦、キャラは不死身のクルーだったのだ!!(ーーメ。。。。



2002年05月01日

めぐりあい~イデオン

在学中は地方都市でアパート暮らし。市内を歩くと松竹の映画館では、「ガンダムⅢ
めぐりあい宇宙」を上映中。
イデオンとバルディオス再放送中で、ザブングルが土曜6時半に関東と同時放映中と
いう環境に恵まれ、私はドツボにはまるごとく、観るのも読むのも漫画ばかりの4年
間に突入した。
イデオンもバルディオスもテレビでは中途半端に打ち切りに終わったので、気になっ
て、気になってしょうがない。
アニメ誌など、まだ読む習慣がなく、全く予備知識ないままその夏に「イデオン接触
編発動編」を映画館で観て、そりゃあそりゃあ衝撃だった。
「こんな、甲斐の無い人生、俺は認めない!」そりゃあ、そうだろうなあ。(^^;
限界状況下、人の苦渋とエゴイズムが錯綜する。ドバアジバの、「人間の業」に涙し
た。

でもさ、、、、、、観ながら渦巻く疑問、、、、「これって、どういうことなんだ?
!」

アニメは子供向けとそれまで思っていた私。もちろん、ガンダムは全然知らなかっ
た。その年の秋のガンダムの再放送で、初めて内容を知った。
その後、朝日ソノラマから出版された小説ガンダムと小説イデオンを読んで、独特の
言い回しと強い訴求力に惹かれた。小説読むまでは実はイデオンの方に思い入れが
あったが、小説の完成度や人物の魅力から、心に今でも残っているのはガンダムの方だった。





2002年05月02日

めぐりあい ~富野喜幸氏

確か大学2年の時だったか、、、「ザブングルグラフティ(+ドキュメントダグラム)」の初日だったか、この日会場であった先輩がサトチ様。その後、色々教わりましたし、共に楽しませて頂きました。今でも交流が続いています。

記憶がすっかり薄れているが、その時だったか、その後だったか、富野氏が新番組エルガイムのキャンペーンをかねて、私の住む地方都市でファンとの交流会に来た。当時絶頂期にふさわしく、血色よく油がのってる感じで、若者に囲まれた富野氏はそれはそれはエネルギーに満ち溢れていた。一緒に来たのは、主題歌をパワフルに歌うMIOさんだったっけ?声優さんの島津冴子さんだったっけ?(覚えてますか<サトチ様)
なんかうれしそうに、その美しい共演者をちやほやほめそやす富野氏が印象的で、当たり前のことだけど、本当に富野さんって「美女が好きだなあ」としみじみ思いました(^^;)

印象に残ったのは、メカマニアっぽい男子学生が、富野氏に「エルガイム「マークⅡ」と名づけたのは、富野さんが日産の「マークⅡ」が好きで、それにちなんだのですか?」と、質問した時のことだ。
それに対する回答、これが妙にムキになって「マークⅡは普通名詞であって、固有名詞にはできないんです!日産のマークⅡは、固有名詞ではありません。普通名詞というのは~云々かんぬん延々延々延々」すごい早口で説明し続けた。
(あのう、、富野さん、彼が聞きたいのはそういうことではないよ^^;)
でも、その姿がすごい万年少年のようなピュアなものに感じられて、好感を抱いた。

だが、一方その場でも、ファンに対し、「大人になれよ。いつまでもアニメなんか観てるんじゃない」と説教してたし、「アニメのファンの集いに来るやつは大概容姿が醜悪だ。」とガンダムに群がるオタクへの嫌悪を露にしていたような気がする。
正直、それはあまり気分がよくはなかった。
劣等感を何かで癒されたい地味な若者が、必要としているアニメの世界にあって、今度はそこから抜け出して視野を広げてみろよ、という彼なりのメッセージだったのだろうが、仮にもそのファンの支持あって生業としているプロとしてどうかなとは思った。

結果的に私はその教え通りにしましたけどね(^^)。
就職した地元はテレビ朝日系のネット局がなかったので、Zを最後に、あとは物理的に観られなかったです。
一応社会人。仕事の奮闘の中、いつしか、忘れていた。。。



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