ログハウス

趣味の画像と家族日記。 主に児童向けの映画、書籍、TVの感想や家族の話題を徒然に綴ってます。

個人的メモリアル~ふきのとう記念日

Posted by ふざけおに on   0 comments   0 trackback

ふきポスター
私がふきのとうを最初に見たコンサートは、高3の時、ちょうど31年前の昨日だったんですね。先日、実家の本棚の裏に貼ったままになったふきのとうのコンサートのポスターで判明しました。当時ラジオ番組で話題になることもヒットチャートの上位になることもないふきのとうですが、岩手・宮城県民会館大ホールは常に満席で独特の熱気がありました。最初からスタンディング熱狂モードの人気アーティストのコンサートと違い、観客がどんどん引き込まれて自然に盛り上がって行く感じが特徴的でした。
最初に行ったのが高3の時なら絶対誰か友達と行ったはずですが、誰だったっけかなあ・・・これがNSPだとそうそう忘れたりはしてないんですが。
少なくとも83年位まではコンサート行ってました。具体的記憶はあまりないのですが、コンサートで聴く細坪さんの歌は衝撃的でしたよ。レコードで聴くよりずっと迫力あったので。雑誌で見かける以外メディア露出度がないので余計インパクトあったんだと思います。(一度、TVで風来坊を歌ってるのを見たことあるだけです。)

それと、私はどろどろした大人の恋愛はもちろんのこと、日常に転がってる10代の恋愛に興味がなかったので(同年代の異性が粗暴に映ったし、男漁りしてるような派手な女の子も苦手だった)、山木さんの描く映画のような美しい作品世界が当時の自分の憧れる恋愛観、理想とする価値観に合っていたのだと思います。
細坪さんのラブソングは小田和正さんの初期曲「秋の気配」や「ワインの匂い」のように、「捨てたい愛」が歌詞に多いので、当時の凡庸な私の目線で見ると感情移入しにしくい印象を受けてました(常に捨てられる側にある身には贅沢な悩みに思えたから^^;、、今となってはまた違う印象に変わってます)が、一方山木さんのラブソング、追う側捨てられる側の愛には胸に迫る切なさを感じてました。
大概、愛が成就しない苦悩こそが文芸の源泉ですから、演歌がそうであるように格好悪くても惨めに追う側の愛の方が、広く共感を得られるものです。

現時点で私的に、山木さん失恋三大ソングと感じるのは「ステーション」「ひとりの冬なら来るな」「やさしさとして想い出として」でしょうか。 (「運命河」や「パレード」も捨てがたいわ。) 私にとって不朽の名曲です。
更に「春雷」は、私にとっては別格、神曲認定です。
実はふきのとうの3大ヒット曲「白い冬」「風来坊」「春雷」って、どれも山木さん作詞のラブソングじゃないんですね。
コンサート31周年なので、この機会に山木さんの曲含めたふきのとうの話題を・・・
って、実はこれ2ヶ月前に書いてた内容ですが、アップする機会を逸してました。今更こんなこと書いても時既に遅いわって感じで、思い込み激し過ぎるし、、、、
でも個人的メモリアルなので、この際記念の勢いで出しちゃいます。。
以下、激しく上から目線あしからずm(__)m。不快要注意です。
風をあつめて

+++++++++++++++++++++++++++++++++++;

若い頃、山木康世氏の描くふきのとうの世界は、非常に洗練されててどこか現実離れした遠い世界の絵空言で、ロマンス映画や少女漫画のようだと思っていた。もちろん文芸がそうであるように虚構の中に真実を描くこと、歌という虚構の物語をリアルに感じさせること自体が芸術だからいいのだけど。
でもそれは優れたシンガーのフィルターを通してたから、美しい虚構と錯覚させられてただけなのかもしれない。案外山木さんにとってはバーチャルな世界ではなく、現実だったのかもしれないと、今ご自身が歌ってるCDを聴いてふと思う。

ここ2ヶ月(3月~5月のこと)、それまで聴いてなかった分のふきのとう後半8年分の曲一気に聴いた。すっかり鈍磨した感性でも、映画のように美しい世界をありありと感じる。それはライブの記憶と重なり、2度と再現されることない瞬間であっても、私の記憶の中に今も脈々と息づき、鮮やかに輝きを放っている。

中でも印象深い3曲について。

○「ステーション」
ライブで聴いた経験はないが、強い印象を残す曲だ。
出会いと別れを叙情的かつ象徴的に描き、絶望の中で愛は終わる。終わりの暗示で、始まりの予感は皆無。全くカタルシス.が得られないこの沈鬱さには参ってしまう。なんかチャイコフスキーの「悲愴」を聴いた後の重厚な余韻に似ている。
私が初期のファンだからそう感じるのかもしれないが、良い時代だったあの頃(日本社会が永遠に上昇を続けるかの如く、下ることなど思いもよらないあの時代)、山木さんの曲にも愛に満ちたりた温かい世界があったように思う。「冬銀河」「メロディ」(コンサートで聴くと喜びを共有できて良かった)とか「水色の木漏れ日」「風の船」とか。 明暗のコントラストが心地良かった。
でも「ステーション」は、聴き手にかつてのような希望的余地を許さないのだ。出口のない痛切な悲哀に、救いは訪れない。
気づいてみると絶望の深淵に呆然と一人佇んでいる・・・。
深い余韻を残しつつ、トラウマになりそうな名曲だ。

○「ひとりの冬なら来るな」
「ひとりの冬なら来るな」は私的失恋ソング最高傑作。直接コンサートで聴いた2番付きの歌詞を初めて聴いた時の衝撃が忘れられないからだ。
ファンの間では「やさしさとして想い出として」がふきのとうの代表作だろう。私も細坪さんが少年の心情を見事に歌われるので好きだが、「ひとりの冬なら来るな」は男性的な力強い歌い方をされてて、当時ライブで聴いた時インパクトがより強かったのだと思う。
コンサートの最中私は細坪さんの歌唱にしか意識は向いてなかったし、遠い世界の映像を想像しながら聴いていたのだけれど、この曲の時だけは何故か山木さんの姿が脳裏に浮かんで来て自分でも驚いた。
なんて激しい男の純情!!胸に突き刺さる。クールでプライド高そうな山木さんが、満身創痍になるような、どういう失恋をしたらこんな歌詞書けるんだろう?!と。
比較的象徴的歌詞が多い中「やさしさとして想い出として」と比べても、虚構にしてはあまりに写実的過ぎて、くらっとめまいを伴う異様な感覚に自分が今どこにいるのかわからなくなった。
クールに見える山木さんがこれだけ激しく心から血を流してる歌だから、感情豊かな歌ってる男は壮絶な熱唱にもなるわけだ。

○春雷
山木さんはやっと自分の曲を自分の手元に取り戻したとおっしゃっていた。山木さんの曲は山木さんがお歌いになるのがいい。そう思う。
でも「春雷」だけは・・・・・、
どっちも歌わないで;茶番みたいに思えるから。私にとっては特別なんだから。
なんて言いたくなるが、大人の事情はわかってるつもり。この際、どっちもカヴァーバージョンと割り切って聴いている。
どっちにしても「春雷」は、現実に存在する人間には歌えない曲だから。
私の記憶が極端に美化されてるだけかもしれなくて、今さら過ぎ去った還らぬ思い出にしがみつくつもりはない。
ただ私の思い出の中にあるライブの「春雷」とは・・・・
生命無常の理に逆らう人の儚い抵抗を全身全霊かけて絶唱する、山木康世を演じる男にしか歌えない歌だ。
客席に向かって歌ってなかった。遥か彼方、大いなる意思に向かって、「時を止める気か!?」って位、超絶的に神掛り的に歌ってる奇跡のような瞬間を、私はこの目で何度か見た。魂が震えた。
最愛の人との永訣の瞬間、誰しもが抱く叶わぬ願い、全人類の悲嘆を、彼が一身に引き受けて天に向かって放ってるのだとさえ思えた。
あれは私にとって真実。2度と還らぬ永遠の瞬間。
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過去は過去。
輝かしい<思い出は横に置いて♪>、現在を受容しようと思う。
静かな情熱に心地良く酔える今を、とても愛おしく思える。

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