ログハウス

趣味の画像と家族日記。 主に児童向けの映画、書籍、TVの感想や家族の話題を徒然に綴ってます。

昭和女学生日記 その2

Posted by ふざけおに on   0 comments   0 trackback

コッキーポップ

昭和女学生日記の続きです。

私がNSPを熱心に聞くようになったのは、中1の頃、FMリクエストアワーでNSP特集をやった時だと思います。「夕暮れ時はさびしそう」「赤い糸の伝説」「弥生つめたい風」「さようなら」「あせ」「八月の空へ翔べ」あたりを聴いてたと思います。ファーストアルバムは兄が持ってましたし。
高校入試が終わった後中3の春(’79)ですが、首都圏に就職した兄のところに両親と出かけることになり、私はある目的があって一緒につれて行ってもらいました。それは3月25日岩手では放送されてないコッキーポップにNSPが出演することを私は何かで知ってたんですね。それで、親に行きたいところがあると言って、一人で山の手線に乗って確か上野で降りてTVを見ようと思ったのです。どこかの食堂にお昼に入って見たのですがすごく映りが悪くて、意を決してまた電車に乗って有楽町まで行って銀座のデパートまで走りました。後半なんとか見られて、感激。岩手から出たことなんてなかった中学生の私にとってとんでもない冒険でした。(この頃からはまり方が常人の領域を外れてたっぽい。熱し易いし、冷めても再燃するんだよなあ・・・)
「恋は水色涙色」とあと「湖」か何かを演奏するのを見て感激したものです。
このDVD見て、その時のこと思い出しました。今でも山の手線に乗ると「恋は水色涙色」が切なく脳内を流れ、一人でNSP見るために電車に乗った日のことを思い出します。
ちなみに主人は地下鉄日比谷線で中学高校時代に通学してたそうです。どうでもいいか(^^;。

ふきのとうを本格的に聞き始めたのは日記によると、79年の12月20日頃
79年の12月30日(土)の日記。
<今、私は突然のようにふきのとうに熱中している。細坪くんの甘いボーカルに酔っている。先日ベストvol2とみゆきのアルバム同じ日に買って聴いて、最初みゆきの方が数倍いいと思ったけど、いつのまにかたまらなく聴きたくなってた。○○君からファンクラブの会報借りて読んでいる。>
80年の1月30日(水)
<1月21日に買った3枚のLP。まず「彩雲」を聞き、次に「逆流」(長渕剛)聞き、最後に「木精」を聴いた。「木精」は泣いてしまった。すばらしかった。特にB面はものすごく幻想的で感動した。>
とあります。(この後プチセブンの対談感想があって後述します。)

でもこの後も2年間、乗り換えてませんでしたよ~。中1~高3まではNSPに一途で一生懸命リクエストはがき書きまくってました・・・・
でもごめんなさい。決して、天野さんや平賀さんもNSPの音楽も悪くありません。みんな中村さんが悪いんです(違!)
いえ、私が悪いんです、はい。 中村さんのこと思うと辛くて、なんかもうNSPの音楽を味わえてなかったんです。岩手を離れる時、こんなバカみたいな片思いはこれで終わりにしようって、2度と近づかない、って決めたんです。
その時点で完全に乗り換えたはずなのに・・・。
おかしいなあ。
完全に違う列車に乗り換えたつもりが、30年余空白の間に車両の連結組み合わせがシャッフルされて、なんでか同じ列車になってたという@@;
まあ、いいか(笑)。

今回は平賀さんの思い出をピックアップ。

ってーか、本当のところは平賀さんの記述以外はとっても恥ずかしくてアップできない(死)
++++++++++++++++++++++++++++++++++++
1980年昭和55年
1月3日(土)盛岡で映画を見た後、IBCへ行って、「’80年スペシャル大塚千輝ザ・リクエスト」を見学した。そしたら、平賀さんが来るという。2時をかなり回ってから、やってきた。その時の心臓の高鳴りよう。「どうも明けましておめでとうございます。」それから私は平賀さんばかり見てた。新しいLPのジャケット見せて、「これだからね、よろしくね」ステキだし、とっても庶民的。
大塚さんが、「誰か平賀君と話したい人いる?」「はい!!」気づいたら私が手を挙げていた。
「じゃ、こっち来て。なんか聞きたいことある?」「えええ?!」って感じで平賀さんの前に座らせられた。その時の緊張!
大塚さんが「普通の人と同じだから」と言ったのを遠くに聞きながらふるえてた。
そしてどうなったか。平賀さんにどうやら聞いたらしい。
「平賀さんて、すごくいい曲作ると思うんですけど、あの、何で作るんですか?」
「あ、僕はやっぱりギターです。」
「弾けるんですか?」どっとみんな笑った。
平賀さんは、「いやね、いつも左でベース弾いてるからそのことだよね。笑うことはないでしょう。あのね、ベース弾くときは左だけど、ギターは右で弾くんです。」
大塚さんが「あとなんかない?」
「愛のナイフのB面の大きな街までって曲あるんですけど、あれ、声だしっていうか、笑ったの平賀さんですか?」
「あの最初の方で?」「はい。」「あ、あれね、うん、俺結構ステージではかもにされてるんだよね」「かわいそう・・・・」
大塚さん「あとなんかある?」「いえ、もういいです。」
バッカだねえ。もっと聞きたいことあけすけに聞けば良かったのに。緊張してしまって何も話せなかった。バカバカバカ。
その後、新沼謙治が入って来た。そしてその又あと、入り口にかわいい子供がいた。平賀さんがその子に向かって、「未来ちゃん」と言った。奥さんと未来ちゃんと剛君、奥さんのお姉さんとその子供二人、スタジオに入ってきた。未来ちゃん本当にかわいかった。剛君も。そして、奥さん美人だった。平賀さんといると美女と野獣って感じ。平賀さん、未来ちゃんにコーラ飲ませたり、剛君に話しかけたり。
お義姉さんの子がマイクを持って「あ、あ」って叫び始めたので、大塚さんが必死で弁解してた。
新沼謙治がついに「うるさいなあ」と言ったので、あわててお義姉さん、子供を抱いロビーに出てしまった。いやな人!以来新沼謙治が何を話しかけても未来ちゃんは答えなかった。
剛君は私を見てにこにこ笑ってた。
でもその後、奥さんも出て行った。
「メッセージに剛君の声が聞きたいってあって、どうする?おぎゃーとでも一声」と大塚さん
「いや、あれは頭をごつんと叩かなきゃ泣かない」と言ったら、大塚さんが木魚のバチで「これで叩こうか?」と言った時の平賀さんの狼狽ぶりがかわいーー!
ほんとステキだった。

8月2日(土)NSPinコロシアム
東京は雨だったらしい。こっちはこんなに晴れてるのにね。
今日、ワイドジャーナルになーんと平賀さんのお母さんが出た。
何となく予感したんだよね。ほんと言って。
「何かリクエスト曲をどうぞ。」
(あーあ、NSPの曲でもリクエストしないかな)
「うちの息子が歌ってる見上げれば雲か。」
(なぬ?)
「うちの息子が歌ってるんです」
「平賀さんのお母さんですか?」
「はい」
「NSP知ってる人?」
「知らないと思います。皆さんまだ。」
って感じでとにかく感動!!なんか花巻湯口農協からの中継って聞いた時、
予感したのは嘘でない。
なんかすごく平賀くん、幸せな人だなあ。
++++++++++++++++++++++++++++++

お母様の、「知らないと思います。皆さん、まだ」という言葉になんか親心を感じます。

湯口中学校は私の初任校の隣の学校で、ずいぶん練習試合に行きました。
初任校にも平賀という名字の子が結構いて、NSPのことを思い出さないようにしながらもつい親しみを感じてました。
平賀さんの奥様は、79年の電撃ワイドにも電話で出演されてました。その時のことも日記にありました。奥様、他界されていたのですね;(合掌)
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