ログハウス

趣味の画像と家族日記。 主に児童向けの映画、書籍、TVの感想や家族の話題を徒然に綴ってます。

古い思い出話です。

Posted by ふざけおに on   0 comments   0 trackback

細坪基佳氏の「木精」は思い入れ深いアルバムなのですが、なかなかその思いの通りにはうまく語れないものです;
「木精」に心打たれ涙していた高校時代は、私にとってはあまりいい時代ではなかったのです。太宰の桜桃忌の記事でもふれましたが、その当時の危機的心理状態と無関係ではないと思います。

端的に言って家庭環境悪かったし(両親の不和、母親との対立とか^^;)、高校も荒れてて、まじめ過ぎる私には居場所がなかったんです。変わってる自分を隠すために、必要以上に道化を演じてた時期もありました。だから疲れてました。
大学以降は家庭から離れたので、安定していて、友人にも恵まれましたが、それでも自分の生育歴に対する自己憐憫は簡単には克服しがたいもので、
そういう心の闇を持っていた自分にとっては、強く共感できる世界だったのかもしれません。

あたかも私がまるで「木精」に救われたように深く思い入れるのには、以下のような個人的な体験があるからかもしれません。

高2の冬のある朝、高校のある駅に降りると親しかった友人がホームに立っていて、このまま一緒に海を見に行こうと言うのです。追い詰められたようなその子の様子に、降りた列車に二人で一緒にまた乗りました。反抗的な優等生という矛盾を抱えた私ですが、初めて学校をさぼりました。その日は定期テスト初日で得意科目の化学で(前回学年最高点だった)私はしっかり勉強して来てたのでとても不本意だったのですが、その子の不遇な境遇には同情もしていました。
彼女は母子家庭の子で、母親は全盲です。毎夜違う男性が彼女の母と過ごすらしいのですが、その前夜たまたまWブッキングになり、男性同士が激しく争ったとかで眠れなかったと。勉強どころでなかったと。
私自身、その朝も母親と言い争い「お前など生まなきゃ良かった。死んでしまえ」と罵声を浴びていたので、今の現実から少しだけ逃げたいという気持ちが強かったのでつい。
終着駅は漁港のある街で、木枯らし舞う日でした。
彼女は当時の私から見ても幼稚な、自他を同一視した心中ごっこを持ちかけて来たので、どうにか空気を変えたくて思案しました。その日の朝列車に乗ってなかった旧来の親友Aに電話したら、彼女もサボりだと言うので、次の列車で来てもらいました。3人なら、なんとか空気を変えられるだろうと。
Aもこれまた父親がアルコール依存症という複雑な家庭の子でした。
3人で1日、冬の海を眺めて過ごし元気になって無事家に帰ったのですが、、
旧来の親友Aは既に素行不良のレッテル貼られてたので、担任がチェックしててさぼりと発覚し、生徒指導の対象になりました。そこからうちの親の耳にも入り、私も一緒だったとバレてしまいます。外では超まじめな私が学校をさぼったのは不良娘Aのせいだと思い込んだうちの母親は、とんでもなく非常識な人間だったので(^^;、Aの母親を激しく責め私との接触を禁じました。その件をきっかけに彼女は家出し、先輩との同棲生活に入り転落。
一番最初に逃走を持ちかけた子は、一見大人しいまじめな子だったので、彼女のさぼりは発覚せず一切おとがめなしという結末。
その子から少しずつ私は離れました。彼女が私に好意を持っているのはわかっていましたが、女友達のつまらない感傷につきあう気になれなかったし、死にたい時はお互いそれぞれ一人で決行すべき、道連れなんて意気地ないことはすべきでないという信念もあったので(^^;
Aとはその後ずっと絶好状態でしたが、その10数年後故郷で偶然再会しました。
彼女が幸福な結婚生活を手に入れていて、ずいぶんほっとしたのを覚えております。

今となってはどうでもいい記憶ですが、もし私がこの出来事より先に「風の轍」を聴いて、自由への逃走を疑似体験していなかったら、追い詰められた心境のまま現実にとどまることは出来なかったかもしれません。
ついそんなことまで思い出してしまいました。
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