ログハウス

趣味の画像と家族日記。 主に児童向けの映画、書籍、TVの感想や家族の話題を徒然に綴ってます。

NSPBEST FEELINGS&中村貴之ライブツアー2011

Posted by ふざけおに on   0 comments   0 trackback

盛岡のスリハンコンサートで買った、平賀さんがセレクトされたベストアルバムと中村さんのライブCD聴きました。
まずはNSPBEST FEELINGS。よくある市販のベスト盤とは違い、平賀さんの曲セレクトとエピソード付きの解説つきなのが、ファンには価値あるアルバムです。
NSPの曲は、ほとんどが天野さん作詞作曲なのですが(平賀さんや中村さんの作られた曲もアルバムに1曲程度ずつありましたね)、平賀さんは最も長い間天野さんと共にグループを組んでた主要メンバーであり、現在は音楽業界でマネジメントをされているので、アーティスト兼業界インサイダーであり、、、、客観的に語る評論家でもないが素人でもない、天野さんに最も近くにいてけれど完全に当事者ではない、作品との距離感が絶妙な解説が大変興味かったです。
個人的には、「漁り火」「五月雨」が選外なのが残念です。。あと、さくら草恋は水色涙色遠野物語待っても待っても祭り囃子か浮雲歌は世につれ、あたりが選外なのがちょっと寂しいのですが、、、(多すぎだろ!)、、、
一方で、湖、BIRTHDAY ..、一片の幸せ(おお?!これですか。ホントにマニアックだ~wでも「みつからないように」が選外か。うーむ。)、 誰かが落とした悲しみを、バブルJに捧ぐ、あたりのセレクトが心憎いのでした。

いくつか印象に残る曲&曲解説についての感想や思い出話です。だらだらあまり後先考えず好きに書き殴ってますので、あしからず。


○「八月の空へ翔べ」
木綿のハンカチーフの男女逆バージョンだったのですね。言われれば。
最初中学生になったばかりの私がNSPを熱心に聞いてた頃は、まだNSPを遠い都会にいる大人な人達と思えてなかった頃でした。だから、曲のイメージとNSPがすっかり一致してました。天野さんにぴったり重なる平賀さんの声の明るさが、少年の純真さを醸し出してて、何度も何度も聴いた曲です。
でも、だんだNSPはここにいない。都会へ行ってしまった側の人達だから、私は帰郷をひたすら待つ側だってことにだんだん気づいて来て、谷山浩子のカントリーガールがその頃の私の心境でした。

私が本格的にNSPにはまってた高校の頃、NSPは「夕暮れ時はさびしそう」のような郷愁漂う風景からどんどん遠ざかって行ってるのを感じて、文字通り寂しい思いしていました。
ラジオで聞く天野さんの話は、たいがいおバカな笑い話なのですが、たまに今年の目標とか聞かれると、「プロとしてヒットを出すのは至上命題」みたいに自分を追い込んでるような覚悟を語っていたのが、今も痛く心に残ってます。その天野さんの気持ちを強く感じて、私も結構悲壮な気持ちになってて、ファンとしてなんだか申し訳ない気持ち、義務感みたいなプレッシャーを感じて、売れてるとか売れてないとか今週は何位だったとか、目先のことが気になるようになって来たのが、NSPの音楽を楽しめなくなった一因でした。
他の人はどうあれ、マイナーでも自分が好きならそれでいい、という気持ちに、当時はなれなかったんですよねえ。
ちょうどオフコースが頭一つ抜け始め大きなうねりになりそうな機運を感じてた頃、「オフコースに負けないで下さい」というメッセージに苦い顔で肩を落としため息ついていた平賀さんを思い出します。(ラジオのスタジオで平賀さんを見てましたから(^^ゞ

昭和女学生日記によると、

'80年1月17日(木) 13日のトップ40は5位、20位。あんべさんは2位と6位。ついにオフコースに抜かれた。今日のザベストテンで6位にランクされていた。オフコースが10年目にしてすごい人気。
一昨日、NSPの電撃ワイドで、新しいアルバムの話をしていた。天野君は気に入っているという。今までとはかなり違った雰囲気である。そして今年の目標はやっぱりヒットだという。「プロとしてやってる以上、ヒット曲を出さないと」と天野君。「結構焦ってる」とも言った。NSPは八十八夜以来、ヒットがない。「夕暮れ」「赤い糸」「弥生」「北北東」「八十八夜」・・・。去年はずい分力を入れたみたいだけど、結局天野君が倒れ、予定が狂ったみたい。

5月5日(天野さんの誕生日)
「私が本格的に応援し始めてからというもの、一枚もヒット曲がないなんて、まるで私疫病神みたい」

と結構凹んでました。
私がリクエスト葉書を毎週のように熱心に書くようになってから、全くヒット曲がなくて、なんか責任感じた記憶あります。
平賀さんの解説の文面からもシングルカットする際のヒット予想のやりとりが多く目につきます。中村さんの2011年のライブ盤MCでもヒット云々を回想されてて、確かにプロならば当然そこが一番大事なことなのでしょう。でも、一ファンでしかない私にとってもそれが価値観の軸になってた傾向ありました。オフコースも好きなのですが、負けるのが悔しかった気がします。
なんであんな順位が気になってたんだろう?友達と違うもの、流行に乗れないと仲間はずれになってる感じがしてて、思い起こせば愚かだったなあと。
今となっては、売れたかどうか世間的にどうかより、自分が好きかどうかで聴けてます。
たで食う虫も好き好き、マイノリティで何が悪いのさ?と言えるだけのおおらかさ、自分に自信がついて来たからなのでしょう。

それと私が最後に聴いてた頃のNSPは、ニューミュージックブームへの流れに乗り遅れまいという焦りみたいなのはあって、洗練された耳障りの良いサウンド志向への移行期でした。
レコードがレンタルで聴けるようになった頃だったので、一気に他のアーティストのアルバムも大量に聴くようになって比較ができるようになってた頃でした。別に「THE WINDS SONGS」が嫌いではなかったのですが、でもこういうテイストなら、オフコースやチューリップを聴いてるのとそんな変わりないかなあって、戸惑いはありましたね。
その点、NSPと同時期に聴いてたふきのとうは、あまり情報がない分、売れてるとか売れてないとか、音楽性がどうだとか曲傾向の変化だとか、ランキングとか気にせず、歌声や曲が好きだから聴いてるって感じでシンプルに向き合えてた気がします。

○「愛のロジック」
「愛のロジック」ですか。・・・「さようなら」の「もういいよ」みたいな天野さんのいじけてる感じが好きです。
でもこの曲は相手の不幸を心密かに願うという歌詞に違和感あって、それが余計心にひっかかりますね。
ロジックだけで言うなら、相手の不幸を願うのは愛ではありません。「愛」ではなく、それは「執着」です。と、私だったら躊躇いなく言い切りますねw本当にその人を愛しているなら、その人の幸福を考えて身を引くことも愛です。
とはいえ、愛が成就しない苦悩こそラブソングの神髄。だから、天野さん、それは違うでしょって、このロジックに全然納得できないのに、なんでかこの気持ち悪い感じに感情移入してしまう曲です。
「人を愛することで僅かな自信さえ失う、人を愛することで生まれた不安だけが渦巻く」
ああ、わかるなあって。そんな気持ちになるから、恋愛って辛い思い出ばかり。どんどん自信がなくなって、到底相手にふさわしい人間だとは思えなくなってきて、相手の幸せを思うなら身を引くだけが愛という結論にいつも達してしまうみたいな。
「多く愛した方が負け」という源氏物語の六条の御息所。愛し過ぎて愛が執着に、やがて憎しみに変わっていくあの感じ。対象が光輝いているのに、それに比して自分の暗い存在が惨めに思えて卑屈になって、その愛に背を向けるしか自尊心を保って生きていけなくなる心情とか、なんか思い出したくないような苦い気持ちをざらりと思い起こさせられ、、、それなのになんでか好き・・・。(私ってM?)根暗な私は、この自虐的感覚に陶酔できるのが好きなのでしょう。

他にも「小さい時仲間はずれにされた」とか「死にたい時も何度かあった」とか、
プロの作詞家だったら絶対入れないような、生々しい、深層に隠蔽しておきたいネガティブな記憶を歌詞に織り込んでくるので、このざらつきというか「痛さ」が逆に忘れようにも忘れられないのかもしれません。心の傷を暴露してる感じが痛く、今も心に突き刺さっています。

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