ログハウス

趣味の画像と家族日記。 主に児童向けの映画、書籍、TVの感想や家族の話題を徒然に綴ってます。

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新しい朝 青空

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新しい朝
ミクシーの某コミュ情報によると、少なくともここ2~3年はふきのとうの復活はない。とのこと。
リーク元はバイオリンの都留さんと思われます。私のリテラシーに照らして、このソースはガチでしょう。まあスリハン来年も続くということは裏を返せば、ふきのとうが二人で40周年やることはないんだろうと十分予想出来てたのですが、いざはっきりするとやっぱり凹むのでした。
数年先のことまで確定してるのですね@@;。
いつも心のどこかで夢見てましたが、それは萎れた花だったようで。


漁り火 海鳴り 二人の愛~♪
いえいえ みんな まぼろし~♪


実はここ数日、解散後10年ほどして書かれたと思われる山木さんのエッセイ「新しい朝」を読んでました。
結構分量があって、なかなか読み応えありましたし、山木さんの大衆社会への切り込みが鋭くて面白かったです。

○復活
その中で「復活」に関わるエピソードとして、山本コウタロー氏のマネジャーさん奥山さんの訃報に際した記述が興味深かったです。

『ウソだろう。確かまだ52歳。最後の会った居酒屋で彼は「ふきのとう」を再結成したい話を切り出した。自分ならなんとかなるだろうと踏んで話したようだが、ことは簡単にはいかなかった。彼は本当にもう一度、生の「ふきのとう」の歌を聴きたかったのかもしれないと思ったら悲しくなった』
この部分の<ことは簡単にいかなかった~悲しくなった>という表現からして、山木さんが固辞してる以外にことが簡単にいかない何か障害があるんだろうかとか@@;、いや、それ以外あるとは思えないんですけど・・・。
10年前執筆されたも内容で、還暦も過ぎ今また心境の変化はあるのかもしれませんが、、、、この故人のように、生のふきのとうの歌を聴きたい人はたくさんいるでしょうに。

○呪縛
解散話題で続けると、この本の中で、山木さんはお母様を亡くされる前後、足を骨折された30歳の頃(ふきのとう6年目の頃)、「無性にふきのとうをやめたかった。あれから12年続くと思わなかった」と書かれてます。、実際にお父様を交え社長さんと実家で解散を懇願したけれど叶わなかったとありました。
とすると私がふきのとうの「春雷」を聴き始めたばかりの頃、アルバム「人生・春・横断」「風をあつめて」あたり??。何度か活動休止があってソロ活動が始まったり(FC会報も不定期になってたような)で、なんとなくそんな空気だったと思います。
その頃どっちかというと山木さんの方に余裕があったような・・・、主観ですが「人生」「D.S」の頃は特に山木さんの曲作りは非常に冴えてたという印象なので。
よくWikiとかで語られる「美しく燃えて」A面騒動に比べ、あまり表で語られることなさそうですが、私の印象では結構シビアな時期だったと記憶しています。私の去年の記事で、あれから「10年続いたのがむしろ驚異的@@;」と書きましたが、奇遇にも山木さん自身が<あれから12年続くと思わなかった>と記述されてて、案外印象だけの思い込み(手元に何の記録の残ってない)記憶もバカに出来ないものだなと苦笑い。だいたい他のグループと比べたらあまりに「長すぎた夏」で、そりゃあ傷も深くなりますよね~って。6年目の決意で8年目くらいで解散ツァーやっていれば案外今頃、再結成は容易だったのかもしれません。

ふきのとうはオフコースやNSPのように学校の同級生だったインフォーマルグループと違い、名前も知らずに初めて会ったその日に偶然歌ってみたら合ったのでグループを組んだ先輩後輩という関係なので、より純粋に音楽的結びつき(ある意味功利的な芸術至上主義的フォーマルグループ)で、競い合いのような緊張感あって高め合いもしたのでしょうけど、些細なこと(チューニング合わないと険悪になるとかw)で関係悪化したら修復も難しそうな気もします。もちろん想像に過ぎませんが。
ただ・・・フォークブームが去ったあの頃の時代の流れからして解散は当然としても、一番輝いていた人生のコアな部分を、経歴から抹消したりあたかも個人で歩んだように塗りつぶした黒歴史扱いは異様な感じを受けます。
解散してお互い音楽を思い通りに満喫してるのはファンとしてそれはとても喜ばしいことですが、翻って未だにふきのとうの上昇期(縛られていた苦しい時)に共同で作り上げた勢いのある音楽を、ソロになって自由を得たお二人ともどちらも決して越えられていないのは現実でしょう。それは商業的成功という意味ではなく、その時代に関係ない物差しで計っても・・・・特にふきのとう中期の山木曲は冴えてましたから・・・・・そうでしょう?
もちろん、果たしてふきのとうという呪縛が解けて、その先に曲を作らなければ生きていけないような何があるのか・・・ファンとして純粋に見届けたいと思います。
でも山木さん、実はふきのとうという呪縛が解けてないような・・・・;(解けようもないよ、本人そのものなんだから、というツッコミもありそうですが)・・・
他の先達を鑑みると、、あの頃(華々しくも苦い過去)を普通に往年のファンに語れるようにならない限り、解けない呪縛のように思えます。 (偉そうだぞ→自分)

「70年代をもう一度」というNSPのように、あの頃の歌をあの時の記憶や感動が蘇るようなメモリアルなイベントが、実現される日はないのでしょうか。

死んじまった夢を抱えて気づきもせずぼんやりと空を眺めてる~♪

○作曲家と演奏家
「破れ鍋に綴じ蓋と思い立ったが吉日」という章で山木さんは、バブルに移行し始めた時代の潮流に、自分の音楽作りが翻弄されたことを告白しています。
『考えるとそれから(解散を考えた頃から)12年という歳月をこの太くて長いトンネル内で生きていたのだが、限られた時間の計りから見たらバランス的には少々長かったようだ。その上、この国におけるこの間は歴史的阿波踊り状態で、その前の時代と大きく変わって行った(中略)歌は世に連れということでのんびりと、我が道を行くということができなかった。
「季節の夕暮れ」が85年、「星空のページェント」が86年。
当時を思い出せる人には説明は不要だろう。両者の音のイメージが時代を物語っている。歌というよりカラオケの作り方が変わってきたのだ。打ち込みが主流になって音の粒立ちが平面的になりワビ、サビなどが軽視され始めたのだ。ピアノやギターの生の音にみんな慣れっこになって、刺激のある新しい音のイメージを模索していた。実験に近い毎日が続いた。このトンネル内で僕は本当に迷い悩んだ。このころ歌ができなかった。自分にストレートな歌を作れなかった。僕の人生で一番の不向きな時代に突入したといいうことだ。』

と、苦しかった胸の内を明かしています。※1

語弊がある言い回しかもしれませんが、細坪さんは柔軟に時代の潮流に乗るスキルがあっても、山木さんにはなかったということだと思います。もともと細坪さんは周囲の期待に添った役を演じてきたので、周囲の期待する役が変わったら違う役を演じればいいだけで、音楽を変えることが山木さんのように自分のありよう(理念)を変えることとは根本的に違うから、変幻自在に時代のニーズに合わせることが出来るのかもしれません。
それは作曲家と演奏家のスタンスの違いかもしれません。
またそれまでのシンガーソングライターブームがいつの間にか業界が作ったシンガーソングライター風のシンガーブームにすり替えられてきたので、優れたヴォーカリストだった細坪さんには才能をより発揮できそうな時代の到来だったと類推できます。
ただ所詮ブームに乗るということはブームが去ればそれまでのこと。作られたマジョリティに実体はなく、また作られた次なる流行に流されていくだけのこと。
(その後のスタンダードフォークナンバーのカバーもそりゃあ時代のニーズでしょうよ。)

細坪さんはエヴァーラストの中で自分たちが日本最後のフォークデュオになると予想してましたが、そんなことは全然なかったわけで、恋をする相手が人それぞれ違うのと同じに、音楽の好みも多様です。華やかで派手な世界の<ぎらぎら>が苦手な人も世界には必ずそれなりの数、存在するんです。メディアのだまし絵に気付かないだけで、流行に乗り遅れてる感のある一見マイノリティの方が、実はサイレントマジョリティなのかもしれません。
(震災の仙台市街、TVで見馴れた光景、いつもあれだけ溢れた流行の最先端行った小綺麗な若者達は全く姿なく、生活物資を求める地味な格好の高齢者がこんなにいたのかと驚くほど中心街を埋め尽くしてました。実は芸能人のように華やかな生活してる人、華やかな若者の方がこの国においては統計上、圧倒的マイノリティなのです。)
田舎者のネクラなオタクな私の場合(NSPファンはどういう人かという中村さんのご明察通り)10代の頃、叙情派フォークに惹かれたのは、多分、歌詞の素朴な世界で、季節感溢れる情景、郷愁、純真な少年の心情、映画のように美しい悲恋、死生観、がキーワードだった気がします。※2
山木さんがスランプに陥ったと思われる時期の曲も、サウンドは変わっても基本的に作品世界は変わってないので私は好みのままでしたし、その苦悩の中だからこそ名曲「ステーション」が生まれてます。(「何故あんなに好きだったんだろう」という歌い出しからして、とうにこの曲の主人公もその世界に冷めてるんですね;。)
大量生産され大量消費された既製品のような曲群の中で、時代の篩いに残るスタンダードな名曲を残した山木康世氏は偉大なアーティストだと私は思うのでした。
(と、分かる人には分かればいいというか、分かっていた人が分かっていたといえる空気がもっとあればいいんですよね。だからつたないこんな文章、私がネットで書いてるんですけど^^;~褒められはしても苦にはされない、そういうモノにみんななりたい)

しかしながら・・・、改めて山木さん、「君の朝」を流す5分には意味がなくて、「新しい朝」を流す5分には意味があるとしたらそれは何ですかとか、それってひょっとして「輝く朝に」のことですか、だったら「輝く朝」になくて、「流星ワルツ」にあるものって何ですか?アレンジの問題ですか?とかいろいろ、小一時間問い詰めたいわ(微笑)・・・・ってどうせ気弱な私には絶対無理だし。
ってか、ライブ出入り禁止になりそうな悪寒(ガクブル)
この本まだまだツッコミどころ満載なので、そのうちまた話題にするかもです。
(え?ガクブルby山木)

なんか破れかぶれついでですが。

※1※2、天野さんが80年代初頭、ニューミュージックブームに乗り遅れまいとばかりにNSPの新境地に新サウンドを求めて試行錯誤してたことはリアルタイムで感じてたので、このままNSPに話題が飛び火します。
人間どうしても振り出しに戻ってしまう宿命なのですな。
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