ログハウス

趣味の画像と家族日記。 主に児童向けの映画、書籍、TVの感想や家族の話題を徒然に綴ってます。

80年と81年をもう一度

Posted by ふざけおに on   0 comments   0 trackback

時代の最前線で社会という歯車を回し続けた戦士も
やがて人生の黄昏れを悟り始め、世代交代の未来図が浮かぶそんな休日。
ふと夢多く純真だった頃を懐かしむ時、涙ぐむほど美しい彩雲に包まれたあの日の夕空が、鮮やかに蘇ってくる・・・・
夕日に背を向け、若かった遠い日を振り返る時、、空虚にさえ思えた青春が、
今手にしている平凡な実の、過去の花だったと、全身を包む黄金の斜光が語りかけてくれる・・・

40周年NSPのメモリアルCD聴きました。

70年代

特に「70年代をもう一度」。NSPの仮想ライブに参加してる気分になれて、3人のトークに大声で笑っても、懐かしい曲のイントロが流れる度感嘆の声が上がって涙ぐんでしまう客席。その聴衆の反応に天野さんが感激して声が震え、更に感動に涙ぼろぼろの中高年の姿が目に浮かんで来そうです。

DVDも、天野君だけは歳を取らないからいいよなあ~とか(それにしても改めて天野君歌下手だなああ~^^;)とか、でも今の自分と同年齢の3人の爽やかな姿に胸ときめきます。
最後に特典として、アイドル歌手が出て、堀ちえみさんがやたらかわいいなあとか。
でも今それを見てにやけてそうな平賀さんや中村さんの姿を想像すると<ちくり>と来ます。
こういうメディアに売り出された華やかなアイドル歌手が自分にとっては遠い存在で、NSPはそれとは違う身近な存在だったから好きだったという若い頃のこだわりが陳腐に思えて、彼ら自身は流行を追うマジョリティだったんだよなあ~(脱力)。
中村さんは(平賀さんもそうか)派手なアイドルや女子アナとが好きそう、と当時も思ってたけど、ふうん、やっぱりね~。住む世界が違うと悟ったから、遅ればせながら私も卒業出来たんだよね(笑)。
郷ひろみとか近藤真彦とか、好きになれなかった私は、彼ら自身に絶対理解されない人種なんでしょうw

余談ですが、ふきのとうの二人は、CBSソニーの新人タレントの運動会番組かなんかで、女性アイドル(水着姿?)の馬にされたとかで憤ってましたw。(なんてうらやましい体験なんだーーー!とNSPの二人が興奮してます。おい)
ふきのとうはその当時はあからさまに芸能界と一線を画してるスタンスでしたが、いまやすっかり普通の芸能人化してる細坪様なのでした(^^;。


サマソルも収録の後期曲やすっかり忘れた初期曲を中心に興味深く聴きました。(よく知ってる中期曲は実はみんな飛ばしてたり、汗笑 )
後期の曲を聴いても、特に違和感もなく、普通に新鮮な感じがします。私が最後に聴いた82年の方向性とそんなに違わないからでしょう。
でも漫然と聴いてると、時々はっとCDをを止めたくなるような耳を塞ぎたいような・・・何故こんな悲しい気持になるのか・・・私、NSPダメなんだよなあ・・・・・・

これらの中で2曲、心にちくりと来る曲について。

①YOU LOVE ME(81年)
「如月の詩」の影響でしょうか。80年5月の昭和女学生日記によると
「たとえ地上の全ての人が天野さんの音楽に背を向けても私だけはたった一人になっても、どんな道に進んでもついて行く。あなたの中あなたは変わらないと信じるから」と涙ながらに日記に誓った私でしたが・・・・(読んでて死ぬほど恥ずかしいですーー;)
何故~愛はいつも揺れるの?永久の誓い嘘じゃないのに~♪(←それは永久の誓いがウソだったろって。)
ところが彩雲の次のアルバム天中平1曲目、「YOU LOVE ME」を、聴いた時、「八月の空へ翔べ」の少年は私で、都会に行ってしまったのはNSPなんだと確実に悟った時でした。サウンドはどうあれ、登場するファッションモデルのような女性と恋のかけひきを軽く愉しむ作品世界には、岩手のいなかっぺちゃんがいてはいけない、あまりに自分が入り込めない世界でした。
それまで私が好きだった天野さんの作品世界の少年像は、「待っても待っても」や「さようなら」「雨は似合わない」のような、好きだった同年代の女の子の幼さ故の冷たい仕打ちに傷つきいじけている姿で、当時の自分を投影してました。
学校生活している当時の自分が、その少年だったら同じように感じるだろうと思える程、自分がそこに存在していた作品世界とでもいうか。それは既存の大衆音楽には絶対見いだせない、等身大の10代がリアルに感じる自分達の世界そのものでした。
その少年の原風景から、天野さんが遠ざかっていく後ろ姿を、寂しく見守った頃をつい思い出してしまいます。
天野さんが少年期の心情=過去を題材にするより、現在心動かされるものを題材に変化するのは当然で、そこにはより洗練され広い層に発信された詞の世界が広がっていると感じます。ただクオリティが上がった分、既存の音楽、乱立する他のアーティストととの差別化が出来なくなって、最早オラがNSPではなくなってしまったし、そもそもそのオラ達もみんな大人になってしまっていたし・・・
天野さんが作風を変えたのは、どっちかというと時流に乗り遅れまい、ヒットを出したいと焦った結果でしょう。
詞よりもサウンド重視に移行した時代、ロック志向だった天野さんは容易に音楽を変えるスキルがあった上に、既存の職業作詞家として通用するスキルもあったので、素早く上手く変化に対応出来てしまったというか。でも結果的にそれがNSPのアイディンティを失い、衰退を早めたと思えます。



北口さんの追悼イベントの際(98年の細坪さんと天野さんが鹿児島FMで対談したちょっと前)、実は天野さんは80年代半ばに周辺の様々な裏切りとも取れる冷遇が続いたことを打ち明け、酷く人間不信を募らせていたという話を聞いたことあります。天野さんは、うつむく二人に気遣うことなく、NSPの復活は100%ないと暗く語ったそうです。(確か80年初頭、NSPはヤマハのポップス部門をずっと下支えしてくれたとのコメントが空しく思い出されました。天野さんが酷く傷ついてたように、山木さんにも同じような業界からのリストラ的扱いがあったのかもしれません。もちろん想像ですけど。)
でも長い休眠とでもいう、どん底の冬の時代があって、一度違う道をそれぞれ歩んだからこそ、自分達の音楽の良さを再認識し、再結成に向かったことを思えば、人間万事塞翁が馬かもしれません。
つまりサウンドの変化はNSP崩壊を早めたけれど、長いスパンで見れば復活の結束と自らの音楽の歴史的価値を早くに自覚できたということです。
それは私にも大きな意味があって、自分が好きな作品世界を当のNSP自身が否定したと思えてた若い時代の私の感性を、やっと当人らに認めてもらえた気分になれたのでした。
また天野さんが迷走し低迷した沈鬱な冬の時代に名曲「バースディ」が生まれています。それは思春期の感傷(=オラがNSP)に留まることなく、より鮮烈に重厚に広く大衆の心を打つ名曲として、この世に残されたのです。。

今、私の心に「碧き空は永遠に」が流れています。

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余談になりますが、ふきのとうのラブソングは大人の恋愛であっても、享楽的男女の一夜のかけひきといいうより、愛とは何かを真摯に観念的に問い続けてるので、より普遍性があったと感じます。
ついでに言うと、小田さんの大ヒット曲、ラブストーリーは突然にの「あの日あのときあの場所で君に会えなかったら僕らはいつまでも見知らぬ他人にまま」というサビ聴く度、そんなのあたり前じゃん、だからどうなのさ?ってツッコミたくなって、とっても私には詞が幼稚に聞こえちゃいます。お好きな方ごめんなさいm(__)m。
多分、真面目に出会いの意味を問い続けたふきのとうや、恋愛に伴う心の陰影を歌い続けた天野さんの歌詞をさんざん聞いた副作用でしょうかw。私は男女の日常的ラブソングは、天野さんで堪能し尽くしたって感じです。)
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