ログハウス

趣味の画像と家族日記。 主に児童向けの映画、書籍、TVの感想や家族の話題を徒然に綴ってます。

映画「風立ちぬ」鑑賞日記★★★★★Part1

Posted by ふざけおに on   0 comments   0 trackback

「一機も帰って来なかった・・・・」

残ったものは無残な夢の残骸。
愚かな殺戮の怨嗟。

生命かけて愛をくれた妻も、この世を去った。

グラウンド零に一陣の風が舞う

~風立ちぬ、いざ生きめやも~

それでも人は粛々と生きていく
ゼロの瓦礫を踏み越えながら

愛の記憶を密かな灯火にして


****************************************
文明の光と闇。人はより良い物を、より美しい物を、より便利な物を創造する地上で唯一の生物だ。限りなく高みを求め、神の領域にまで踏み込もうとする人の精神は崇高だ。
しかし、時にその創造物は創造者の手を離れ、その意思とは無関係に、破壊の道具に利用される。より快適な生活を求めた技術は、皮肉にも命を奪うための技術に転用される。
技術者の夢を追い続ける純粋さひたむきさに心打たれる一方で、それが兵器として利用されるやるせなさ。夢は時に毒になるけれど、夢そのものは純粋で罪はないのだ。

○主人公
主人公の二郎は、ヒューマニズムの権化のように、心優しく善良で争いを好まない高潔な人物だ。
興味のあることに熱中してると、他のことが耳に入らないので社交性に乏しく、競争に勝ちたいという野心もないので、恐らく普通の社会ではうだつのあがらない草食系男子だが、研究職、技術職という畑においては、非常に愛され重宝される気質だ。
彼のより優れた美しい飛行機を作りたいという夢が実現したのは、彼がその夢を諦めなかったからだけではない。諦めずに開発を続けた技術者は他にもごまんといたろう。その中で彼が一時でも世界一になれたのは、それだけの柔軟な発想と熱意・才能があったことと、周囲が彼の人柄と才能を理解し大事にされたこと、そして皮肉なことだが当時の国策と一致していたこと(その分野の研究が奨励され予算がつく)、他の若者のように徴兵されたりせず、諦めずに研究を続けられる環境があったからで、本人の能力と周囲の協力と時代の流れが一致していたから。
彼自身は兵器としてではない、平和時に人を安全に優雅に運ぶ航空機の技術を目指しているが、彼がそういう思いを抱いていることが結果的に特高に付け狙われてしまう。それから守ってくれる上司の存在が彼の夢の実現には欠かせなかったと言える。
夢がかなう喜びと戦争の痛みと、全てをなくし失意の焦土から再び歩み出す人の本質的な強さを映像に見るとき、関東大震災、敗戦を経験したように、3,11の瓦礫を前にした我々に明日を粛々と生きることの意義を教えてくれてるように感じた。

○風立ちぬ。いざ生きめやも。
(実はこういうタイトルで日記書いてたので、ちょっとうれしい)
日本人は、生涯通して職責を果たす生き方を美徳としていた。仕事に私生活を持ち込むことをよししない風潮があって、不器用でも職務に忠実で勤勉な日本男性を描いた邦画「鉄道屋」を少し連想する。あそこまで硬派ではないからこそ、二郎が婚約者の病状に涙流しながら、仕事する姿は切ない。(わが子が難病で何度も生命の危機に瀕したことがある私や主人は人ごとには思えない。仕事相手のある職場で泣くわけにいかない。親が死んでも仕事を休めない社会的責任がある人もいる。)
そんな二郎の苦悩を悟ったヒロイン菜穂子。このままでは研究に集中できないだろうことを慮り、彼女は彼の(彼との、ではない)大切な時間のため、自分の病状を顧みず彼と暮らすことを決めた。病身の彼女ができること、彼を笑顔で癒し、彼の明日の鋭気を満たし続けた。
彼の研究が成功を収めた日、彼の元を去る。彼女が自分が病から逃げたいとか彼と暮らしたいとか、自分のエゴのために、彼の元に押しかけたわけはではない証左だ。病にやつれた姿で彼の心を乱すことのないよう最後まで気丈にふるまった菜穂子。
愛とは、ハリウッド映画のように奪ったり勝利したりするものではなく、相手の健やかな生存を願うことなのだ。
その彼女の愛の記憶が、全てをなくした二郎に、ただひたすら善良に生きていく意思へと導くのだ。

○研究者の10年
技術者が本当に純粋に自分の研究をやれる年限は10年というのは、今も昔も世界的にもあまり変わらないのだろう。というのもそれ以上になると、組織の管理運営というサポートする偉い役職に昇格させられるから。それは技術競争は日進月歩で、どんなに有能な技術者でも若い世代の情報処理能力についていけなくなるし、若い発想力を台頭させないと、研究の新陳代謝を阻害することになるからだろう。
だから余命わずかの妻は、研究者生命わずかの夫のために、惜しむことなく自分の生命を捧げるわけだ。
偉大な技術者はつかの間の風のように去って行くが、彼や彼を支えた心ある仲間達のように世代交代を繰り返し、その後の技術立国日本へと成長していったのだ。

何はなくてもとりあえず、ゼロから歩み始めた歴史に、今を生きる私たちの未来への手掛かりがあるのかもしれない。
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