ログハウス

趣味の画像と家族日記。 主に児童向けの映画、書籍、TVの感想や家族の話題を徒然に綴ってます。

ROOM 音楽ひとり言その3 ~本当に好きならば~

Posted by ふざけおに on   0 comments   0 trackback

人の世はままならぬもの。
わかっちゃいるけど、落ち込むこともあって、あんべさんのアルバム「君といた時間」やJULANの風」聴いていると、心から棘が抜け落ちるようなカタルシスを感じて、はまってます。
といっても、相方のヨンちゃんは、鈴木さんのアレンジが好きなので昔の曲が多いかな。
って感じで宅録ユニットROOM、緩くぼちぼちやってます。


☆夜のしずく

イルカさんとのデュエット版ぽく可愛く唄いました。
「少しは人の心は綺麗になったのか。父よ母よ、やがては僕も問われよう」
前も書いたけど、一〇代の頃このフレーズに身が引き締まる思いがしたものです。
こんな社会を作った大人はずるい、汚いと批判してる自分も、いつしかこの社会を担う責任を次世代に問われる日が来るんだって。
そして今その時なのでしょう。社会の不条理に目を向けつつ、若者に恥じない生き方をしたい、いつも心からみんなの幸せを願える人間でありたい、今もやはりそんな改まった気持ちにさせてくれる名曲です。



☆一億の夜を越えて

どんな奴だって負けたことがある。

☆サンライズサンセット

みんな深い谷間の底で苦しみあえぎながら生きてるんだ

5月8日の熊本支援チャリティイベントで唄ったロック調の2曲。


☆遠野物語~第二章~

あなたが幸せならそれでいいから

ここからはとりとめないひとり言です・・・・

高校時代「遠野」という町がどうしても好きになれなかった※ので絵空事にしか思えなかった曲、NSPが「遠野物語」を出した時も今更感な感じしてたし。
震災の翌年、再びフォークソングを聴くようになってもどっちも興味なかったのです。故郷は自分にとって挫折の象徴だったからかもしれません。でも去年の暮れあたりから、なんでかあんべさんの「遠野物語」もNSPの「遠野物語」もすんなり入って来て泣けるんですよね・・・


「あなたが幸せならそれでいいから」
喪失後も人生は続く・・
思いを解き放し歩み始めるこのシーンがなんだか自分の心情にシンクロして来て・・・、

でも・・・「本当に好きならば追いかけていったはず」なんだろうか。
やさしさはほしいけど、歌い出し、「遠くで見てることが愛だなんで思い違いしてたあの日」
を連想します。

・・・・・そうなんだろうか?
私にはわからないなあ。
どうしてその人にとって、自分が最高の相手だと思えるんだろう?

そういやNSPの「遠野物語」も泣けるけど・・・・、でも「私の全てを見て欲しい」・・・・とは私は思わないなあ。
愛する人には見られたくない醜悪さを持ってるから。
最愛の人に全てをみてもらいたいと思うほど、なんでそんなに自分の全てに自信があるんだろう?
そして私はどうして、そうは思えないんだろう?
美人に生まれてたらあるいは違ったのかなあ・・・・。
身をひくことだけが愛だと思い至った17の冬。
私よりふさわしい人、その人を幸せにするだろう人がいるんだから。
NSPの中村さんに憧れてたんですけど・・・・ーー;(恥)、
頭が固いのでとても罪深いことに思えて来て・・・・



ところが同じ血が流れてる母は私と真逆な人だったんです。
人間、遺伝や環境だけでは決定づけられないものだとこの頃よく思います。

私は両親の結婚の経緯を大人になるまで母の言い分からしか知らなかった。
どうして両親はけんかが絶えないのか、酒乱の父に暴力を受けながら何故母は離婚しないのか・・・・
中学生になって母に離婚を勧める私に、「愛していないが離婚はしない。」という母の言い分が理解出来なかったっけ。
後に判明したのですが、実は母は略奪婚だったのです。
母は妻子あると知りながら父の宿直室に入り込み、「据え膳喰わぬは」なんとかという愚かな格言に乗っ取った父。その1回の間違いから、訴えて仕事をやめさせると脅され、結婚を迫られ、父は内陸から沿岸に転勤したものの、母は仕事を捨てておっかけて転がりこんで来たそうです。
父は母の実家に母を返し、手切れ金を払って精算。示談成立・・・・かと思ったら実家で母が激しく泣き狂うので、母の両親が馬鹿なことに一晩でいいから慰めて下さいと、父に懇願し、母の実家に招かれる羽目に・・・・・
その際母から3ヶ月という条件で入籍して欲しいと。父は3ヶ月期限付き契約で再婚。
これまた前妻は出来た人で、父が出て行く時「あなたはあの人とはとても半年も持たないでしょう。いつもで帰って来て下さい」と言われたそうな・・・・
その後、母は何度か別居しつつも決して離婚に応じなかったのです。
夫の悪口を言い続け憎み続け、けんかの耐えない荒れた家庭なのに、離婚したら父が幸せになるので(父はもてるw)、それだけは譲らなかったのです。
そんな人間いるのかと信じられないと思われそうですが、私の母を知ってる人は、あああの人ならさもありなんと納得するほど、自己中そのもの、いわゆる自己愛性人格者でした。つまり、他人を愛することが出来ない自分しか愛してないので、他者は自分に尽くして当たり前。。子供といえど、自分を喜ばせるための存在で、自分の思い通りになれないと平気で「生まねば良かった死んでしまえ」と罵倒する人だったので・・・・
母は何でも思い通りにならないと気が済まない人で、自分の気持ちのまま諦めずに手に入れた夫なのに、夫を憎み、他の家庭を壊した加害者でありことを棚に上げ、いつも夫に酷い目に遭わされた被害者だと本気で思ってました。この世で自分が一番不幸だと呪い、ひがみ、うらみ・・・・我が母ながら、本当に困った人でした。
ところが晩年頃、別人のように人間丸くなって、自分は幸せかもしれないと他人に感謝を口にするようになったので、本当に人は変わるもんだと驚いたものです。

それはともかく・・・・
私は両親の結婚の醜聞を大人になるまで全然知らなかったのに、何故か母とは全く違う価値観を持っていたのです。後から思うと欠点の多い母だから、それを反面教師に私の価値観が形成されたのかも。
今や故郷を好きになるのと比例して、亡母を好きになってます。


私はベルサイユのばらを愛読してて、ジェロ-デル少佐の求愛に対し、オスカルが「私があなたと結婚したら、不幸になる男性がいてその人が不幸なら私も不幸だ」という回答に、「では身を引きましょう。あなたが不幸になるなら、私も不幸だから」と。
愛とは相手の健やかな生存を願うこと。
学生時代に見た古典映画、「哀愁」とか「カサブランカ」もそうかな。
本当に好きだったら、無茶追いしないで、相手のためにも、自分が幸せになる努力をする方が良いと思うけど・・・・



あんべさん、もう覚えてないだろうけど・・・・高校の頃本当は私がNSPファンだって知ってたんだよね~。
どこか寂しそうだったの覚えてます。
イベントで、天野さんとあんべさんの握手会あると、いつも天野さんに長い行列が出来て、心優しい天野ファンがあえてあんべさんに並んだという話を聞いたりしてて・・・。
プロになるのも遅かったから、有島武郎の「生まれいづる悩み」のような激しい煩悶の中で音楽人生を歩み始め、でも90年代はどんな良い曲を作っても時代の流れは変えられず・・・音楽を離れ、また再起するまでどんな思いだったんだろう?
でも今、多くの人を癒やし励ます良い曲を書かれてて、とても幸せそうで我がことのように誇らしく思えました。

一昨年、ふとライブ中に口にされたこと印象あります。
「今少し、余裕のある人は頑張ってる人、頑張ってるアーティストを応援してやって下さい」とうつむいたまま。
それは「必ずしも俺でなくてもいいからさ」って聞こえて、でもやっぱり本心は自分を応援して欲しいんだろうなって。
ああ、この感じがあんべさんなんだよね。
奪い合いになったら、勝ち取るまで諦めない人にはなれない。
光る青空を両手を伸ばし飛び行く者にはなれない。
どこか私と似てるなって気がしたものです。
それも私の思い込みや勘違いかもしれませんけどねヽ( ´_`)丿。


※その頃は遠野市は近隣の街。子供の頃は汽車で二駅離れたところは地元ではないです。「花巻北高校」に進学すれば良かったという両親、釜石線遠野方面に行く生徒は質が悪いとは聞いてましたが・・・確かに遠野高校は荒れてて、真面目な生徒はほめられもせず苦にもされず暗い生活、不良は怒られても平気で少し改善すると大変誉められる明るい生活、いわゆるスクールカーストの走りなんですけどねw荒れてる生徒の親の世界もどろどろでね・・・。真面目過ぎる私には楽しくない高校生活が嫌で、ラジオに現実逃避してました。

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