ログハウス

趣味の画像と家族日記。 主に児童向けの映画、書籍、TVの感想や家族の話題を徒然に綴ってます。

~遠野物語発・銀河トレイン40+1周年記念- あんべ光俊 with TOBIWOW BAND CONCERT & EXHIBITION

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40年ぶりに盛岡に集う飛行船時代の仲間。ドラムの小島さんの代役の元オフコースの大間ジローさんもあんべさんの音楽仲間。ファンもアーティストも「それぞれの人生、出会いと別れといろんなことがあった」でしょう。でも今こうして生きてこの地に集える喜び、青春の「飛行船」に再会できたことへの感激、多感な頃の思い出を懐かしみ、心に同じ音楽を共有する一体感で、熱く盛り上がったメモリアルライブでした。

そして、実質最後を飾った「イーハトーブの風」、老若男女からなる市民合唱隊と共に演奏された時、小学生の時初めて岩手県民会館を見学した日の感動がまざまざと私の脳裏に蘇って参りました。
それは小学校高学年の遠足の記憶です。県庁所在地盛岡のフィールドワーク。県庁や岩手公園川徳デパート橋本美術館を見学した記憶あります。たくさんのビルやデパートがある盛岡がとても華やかな都会に思えたものです。
でも一番心を動かされたのは、「岩手県民会館」の階段の赤い絨毯を歩いた時のこと。あの柔らかな踏み心地に、今自分は田舎の猫背なちびではない特別な存在で、荘厳な空間を立っているように思えて、「東北一のホールです」との説明がとても子供心に誇らしく聞こえたものです。

あれから45年が経ち
赤い絨毯に降り立った時、「岩手県民会館」は今日この日のために作られたと思えました。
決して2000の客席すべて埋まったわけでないし、派手に業界の花輪がずらり処狭しと並ぶわけでもない。
ただ彼の音楽がそこにあり、彼の音楽を愛するものが集う、ただそれだけなのに、東北一のこのホールに最もふさわしいコンサートに思えたこの輝かしいまでの「誇らしさ」
あんべ光俊さんは、イーハトーブの偉人です。
それを私が知っていることが喩えようもなく誇らしいのです。

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以下セットリスト
(あんべさんのFBから転載)
◎-遠野物語発・銀河トレイン40+1周年記念-
あんべ光俊 with TOBIWOW BAND CONCERT & EXHIBITION"心よ青きままに歌え" SET LIST
■ゲスト / 飛行船 大間ジロー ■同時開催「アンミツ展」
5月5日(金・祝日) 開場16:00 / 開演17:00岩手県民会館大ホール
01.kizuna伝心 
02.青い大地に夢は始まる
03.FUKUSHIMA TOWN 
04.悲しみの向こう
05.ひと粒の雨
06.オリンポスの果実
07.遠き風の声(Solo)
08.君に逢いたい with 太田代将孝(Cho) &竹田元(Kb)with
09.ハッピーアニバーサリー
10.力は無限大
休憩
01.やさしさは欲しいけれど with 萩原誠(Vo&Kb/飛行船) 大間ジロー
02.しょうよう歌 with 小野寺進(Vo/飛行船) 高橋成弘(Vo/飛行船サポートメンバー)
03.ブラックコーヒー (飛行船)
04.青春の踏切で (飛行船)
05.サンライズサンセット (飛行船)
06.遠野物語 (飛行船)
07.通りに飛び出して
08.Born in the night
09.夜のしずく
10.夢の扉
11.トビウオ with トビウオ少年少女隊
12.一億の夜を越えて
13.Born to be wild
14.ロングラン
E1.星の旅      
E2.JALANの風 with 飛行船 大間ジロー 太田代将孝
E3.イーハトーヴの風 with イーハトーヴブルースカイヤーズ
E4.ありがとさよならまた会う日まで(Solo)

バンドスタイルあり、ギター一本のソロコーナーあり、フォーク調だったりロック調だったり、飛行船復活したり、小野寺さんとの愛の劇場あったり、大間ジローさんのパーカッションあったり、子供たちと一緒に踊ったり、ノリノリスタンディングで腕振り上げたり、市民コーラス隊と合唱したり・・・
あんべさんの音楽は何でもあり。あらゆる角度から存分に楽しめます。
あんべさん、今日は10キロ痩せそうだとおっしゃってましたが、本当にすごい気力体力。若い!!自分は年取ったという実感がないとおっしゃってましたが、本当に今絶好調なんでしょう。
私はトビウオ体操がキツかった・・・体が重いのよ。
でも心は、悲観的だった若い頃より、楽観的になってて軽い気がします。
人生、これからこれから。
これが飛行船、最後かもしれないなんて言わずに、小野寺さん、萩原さん、菊池さん、そして小島さん、またみんな元気に集いましょう。
以下思い付き雑感。長いぞ~ーー;(←どうせ誰も読まねーよ)
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〇FUKUSHIMA TOWN 
スチールタウンの替え歌かなって、「母さん、俺は虫か?」で思わず吹いてしまいましたが、そのあとの歌詞の深刻さにぐっときました。
原発事故への憤り、福島の悲しみ、胸に突き刺さるような歌でした。
LOVE&PIACEと良く歌われますが、決して遠い国の話ではない、今そこにある悲惨な現実を、福島の青年になりきってその痛みを感じながら歌うアーティストは相当のエネルギーが必要でしょう。
忘れてはいけない、震災ではない、人災フクシマの悲劇。

〇オリンポスの果実
懐かしいです。79年頃のライブで、あんべさんが、この同名の小説で、女性のうぶ毛を見て嫌悪した主人公の話をされたのを鮮明に記憶してます。生々しい生理感覚が、私にとっては禁断の果実で、ちょっと苦手なところ。
「二人の女を一度に愛せない」
ここ聞くたび、あんべさん、二股かけてるの~?いつも片思いしかしたことない純愛志向の私にはなんて贅沢で不実な悩みなのって(笑)。
この主人公私のジャッジでは、結局彼はどっちも愛してないんだね、誰も愛していない。彼は自分だけを愛してるんです。これこそが荒れ狂う自我の嵐。
懐かしいMCというと、もう絶対演奏されそうにない飛行船「5月になれば」
「なんでこんな曲作っちまったんだ、俺?」って仰ってたのをよく覚えてます。
でもこれは「愛」を感じるメロドラマ、切ない曲です。余韻が絶妙。
果たして、彼は父親になれたんでしょうか。
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〇君に逢いたい
歌いだされた途端、涙ほろん。大きな愛を感じます。
「答え求めない恋だから誰より君が切ないよ」
愛とはその対象に愛されることを求めるものではなく、対象の健やかな生存を願うこと。
NSPが好きだった青い時にたどり着いた答えと同じに思えて。
~喩え死が二人を隔てても、夢で時を重ねる永遠に~
アーティストとファンの愛に重ねてしまいます。
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〇やさしさは欲しいけれど
2番は印刷会社CEOの萩原さんのボーカル。うまいわ~。カラオケで鍛えてるんだろうかとか(おい)
飛行船は萩原さんの家の援助なしには、活動できなかったんですよね。
ちょうど「けいおん!」のムギちゃんみたいなポジション?
オフコースの「一人で生きてゆければ」を聞いて、あんべさんが書いてみたくなった曲だそうです。
「人間なんてひとりじゃないか、今さら泣き言言うなんて」
この優しさに背を向け片意地張ってる感じがあの頃のあんべさんらしいし、私自身は当時そういう心情に近かったです。自分にとって生きずらいこの世界が敵に思えたというか。。。。
この曲は小田さんのアレンジでしたね。
そしてサンライズサンセットは鈴木さん。
このアルバム曲が、飛行船のメンバーでのライブ演奏が見られて、今日まで生きてて良かったって思えました。

〇大間ジローさん
シンガーソングドラマーとしてCDを出すそうです。ボーカルに挑戦だそうです。
オフコース時代、ドラムの前にマイクがあったそうですが、ある日、歌の上手いOさんに、「お前歌わなくていい」と言われ、マイクが撤去されたそうです。
Oさん、そんな無体な。
サイボーグ007の顔にどこか似てるジローさん。全然オフコースの頃と外観変わらないですよ~、かっこいいvv

〇逍遥歌
旧制高校の遠野高校にもありましたよ。試合に勝って歌う凱歌より、負けた時に歌う逍遥歌の方が文芸的で私は好きでしたね。

〇ブラックコーヒー
小野寺さん、緊張された面持ちでしたが、心をこめて「ブラックコーヒー」歌ってくださいました。
中学生の時それまで山口百恵のレコードしか買ってなかった私が、テレビに出ない人のレコード買ったのが「遠野物語/ブラックコーヒー」でした。(NSPは兄貴がレコードカセット持っていて、自分が買い始めたのは高校入学の時だったので。)当時は持ってるレコード少ないから、ずいぶんB面も繰り返し聞きましたね。
聞いてた頃はブラックコーヒーがどういう味のものか知らなかったんですが、こうして毎日ブラックコーヒーを飲みながら、パソコンに向かう日々。少しだけ違いがわかる女になりました。
小野寺さんと菊池さんは、釜石南高校の「タッキー&翼」と言われるアイドルだったそうです。うん、菊池さんはそうでしょう、声綺麗だし、かわいいもん。
飛行船のコーラスは、てっきりオフコースが入ってるから綺麗なんだと思ってましたが、オリジナルメンバーのコーラスだったんですね。実際ライブで聞いてわかりました。その中でも菊池さんのハモりは光ってました。
「人の森を旅する道」で、是非「小野寺さーーーん」という声援が欲しいと話されたので、俄然張り切って「オノデラサーーーン」。しかしこれが地獄の底から湧き出るような婆声。黄色いくないので響かない;最前列のお姉さま方、本当に声が黄色いのよ・・・・私、そんなかわいい声、どう頑張っても出ませんーー;
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〇飛行船愛の一夜
小野寺さんとあんべさんの漫談、面白いです、あんべさん、飛行船のメンバーがステージ上にいるときは本当にうれしそうに話が弾みます。
「俺、本当にメンバーみんな好きなんだ」って笑って言ってましたが、本当に「友情」っていいなあ~。
朝目覚めて目の前の長い髪を見て、「またやらかしたー」って思ったのは、あんべさんでしょう。恋多き遊び人だったのはあんべさんに決まってますw
小野寺さんのモテ期は飛行船時代だったって言ってるし。
え?飛行船って恋愛禁止だったの??あんべさん、年上の女性と同棲してたんんじゃなかったの・・・@@;

〇青春の踏切で
この曲初めて聞いたのは、幼馴染の先輩の部屋でFMリクエストアワーだったと思います。飛行船の新曲として紹介されたと思います。
田舎の中学生だった私には、青春の中にいる感じなかったし、まして荒々しい歌唱で「若さの終わりを告げる」なんて心情、ピンと来なかったです。
あの日、あの時、聞いていた幼い自分を思い出すと同時に、今こんなに痛いほどわかる曲になるなんて。青春との決別、邂逅、孤独・・・
「大人になれば笑って言える日が来るだろうか」
自分でもおかしいほど、泣けます。

〇「遠野物語」
あんべさんはよく、21歳で「あの頃に帰りたい」とはどんな人生送ってたんだ?と笑い話されますが、それを言うなら北山さんの「風」とか伊勢さんの「22才の別れ」だって・・・
作家とは早熟なものです。
自論申すなら、若い頃に傑作が生まれるのは、作家は多感なので他者の心情を年相応ではなく、先取りして感じてしまうというのと、おそらくサザエさんのような絵に描いた家庭と違い、無邪気な子どものままでいられない大人になることを急がされた過酷な境遇があるんではないかと。貧しい地方で生きるには、早く大人になることをせかされるし、その中でも個性的な人、例えば均質化した周囲の中で、自分が生きずらい特質を持っていてることを思い悩むとか、あるいは個性を押し殺して生きていることに違和感を覚えるとか・・
あんべさん、75年の遠野市民会館ふきのとうコンサートの前座の時、お風呂に入ってて「遠野物語」を書きたいと思ったと歌本にありましたが、その時にはとっくに出来てたんですね。
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〇Born to be wild
この悲壮なまでの疾走感!軽快の対極、重鬱なロックが好き!
ペンライトふりふりきゃああああああ!
気づきませんでしたが、私の隣の隣の隣にいたRさんも好きな曲でスタンディングでノリノリだったそうです。いつかみんなであんべナイトでカヴァーしたいですね。

〇郷土の風
あんべさんも、岩手が生んだ偉大な詩人たちがそうであったように、太古から吹き渡る郷土の風を感じるのでしょう。
思えば石川啄木も宮沢賢治もあれだけ類まれな才気あっても、当時世間に大きく取り上げられることもなく、多感な思春期、地方人特有の「生まれ出る悩み」とでもいうか、夢と現実とのはざまで煩悶してたわけです。
太宰が芥川賞に異常にこだわった様に、清貧の人格者のように言われる宮沢賢治だって、売れたかった、有名になりたかったのです。そういう自分を戒めるために、「褒められもせず」苦にもされないデクノボーになりたいとメモを残し、自分の仕事が成功しないことに苦悩する自分を諫めたのです。
「虔十公園林」は、バカでデクノボーの虔十がひたすら植林した森が彼の死後、多くの人を癒すという話。
誰だって名声は欲しいし、成功したい。賢治は「いつの日か誰かのためになれば」という理想と自分の生活という現実のはざまで作品を世に送りだした人でした。
あんべさんが、若い頃、夢を追いながら生きることの苦しさにあえぎ、真面目さゆえに傷つきながら作品を世に出して、やがて行き詰まり絶望し・・・・彼の心はそこで一度死んでるのかもしれません。
でも彼の心は決して枯れない泉。
心が空になった時、新たな泉が沸いてきたのでしょう。「誰かのための音楽を」とシンプルに自分を再生させていく、それが地に生きる東北人のDNAなのかもしれません。
あんべさんが80年代後半、曲が書けなくなった時の話を聞いて、そんなこと思います。最愛の「音楽」に背を向けてた時もあるようですね。
~「売れる売れない」じゃない、俺の歌に共感して勇気づけられる人がいればそれがうれしい~
賢治は本当に「書く」という意味がわかってる稀有な作家だったと大学で講義受けた記憶があります。おそらくあんべさんも本来の「歌う」という行為の意味をわかっている稀有なシンガーソングライターでしょう。私はそう思います。
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〇応援歌
配られたプログラムのあんべさんのエッセイに、興味深い表現がありました。
「自分は何か特別なことを歌いたいのかと思っていた。でも今は違う気がする」「お題を見つけ」れば、歌がなんでも書けそうだという件。
誰かのためになる歌を書こうと。
なんかわかる気がします。わかるというと、おこがましいですけどね。(私も最近は誰のなんのレビューでも書けそうな気がしてたり)
以下私の勝手な推測ですが。。。
作品を書くとき、多くのシンガーソングライターは私小説型が多いように思います。たいがい自分の体験を歌にしているので、その点でいうとプロの作詞家が売るために作る流行歌より歌詞にリアリティがあるんですよね。
ところが、人が実際に体験できる事象は限られていて、幸せで平凡な人生だったら、峻烈な作品は出てこないので、どこかでドラマチックな破滅に向かう芸術至上主義的思考が作家にはあるような気がします。
でも人間として円熟していく過程で、自分が描きたい経験よりも、何を伝えたいのかというテーマに向かっていくものかもしれません。吐き出したい自分の生の心情ではなく、「お題」が先でそれを伝えるためにストーリー、群像劇が出来上がってくる、というか。
多分さださんの「風に立つライオン」や「遥かなるクリスマス」は、テーマを語るための完全なフィクションでしょう。主題を伝えるために作られた物語に聞き手は感動させられるのです。
さださんとあんべさんの最近の曲作りに共通するものがあるように思います。
特に「いちゃりばちょうでぃ」は未来に絶望し死に急ぐ現代の若者に寄りそう物語として傑作だと思います。
「無念の命の分も生きてほしい、生きていることそのことが奇跡なのだから」と伝えるフィクションですが、昔からあんべさんの応援歌は安全な高いところからの励ましではなく、同じ「痛み」を知っている同じ目線を感じます。
ロック調のサンライズサンセットもしかり、一億の夜を越えてもしかり。
ある意味恵まれた上から目線=優越感  とは違う、どん底を知る者だけが言える励ましに思えます。
喩えは悪いですが、依存症回復施設のダルクのように、絶望を知る者が最も希望を失った人に寄り添えるというか。
「いちゃりばちょうでぃ」は隣人愛に満ちたフィクションですが、そこに見え隠れするのはあんべさん自身が絶望や死別の悲しみを繰り返しそれでも生きてきたから、そう若者に言える「真実」があると思えるのです。
またあんべさんは大学時代演劇にはまりかけたとおっしゃてましたが、歌詞に出てくるダイアローグ、そのシナリオセンスが抜群なので、やっぱりなと頷けるエピソードでした。
あんべさんは、今度全員が元気に集えるかわからない、と限りある命を口にする一方で、全然自分が年を取ったという感じがしないとも仰ってました。
あんべさんは、未来が見えない不安な時代に「自分」を表現し続ける一つの人生シナリオを終えてるのかもしれません。
今もう一つの人生、愛に満たされた彼は「誰かのために」歌い続けるのでしょう。

〇東北の心
音楽は平和の賜物です。
3.11の夜、真っ暗な市街を必死に帰宅しました。灯も音もない死んだような住宅街。いつもは見えないほどさんざめく星に照らし出される無音の世界。
その時、私の心が猛烈に求めたのは、郷土の美しさや多感な頃の心情を思い出させてくれるフォークソングでした。誰しもが限りある命だから好きな音楽を楽しもう、音楽を聴ける平穏な日常は実はとっても幸運なのだと実感しています。
そしてたくさんの有名人が被災地を励ましてくれて、人の善良さ、心の絆を感じる日々です。
その中であんべさんは、被災当日も被災地にいたアーティストです。
被災当日、二日目、3日目、みるみる街は復元していきました。
1週間たったら、最初は悲惨で写真撮れなかったのが、今更写真を撮ってもたいした光景だと思わないくらい戻ってたのです。
もちろん、沿岸部の遠いところや福島はそうではなかったという異論もあると思いますが、それにしても私が見ている定点の風景を1か月後、半年後に、さらに1年後に見ても、こんなに大変だったのか、現地に来てみてわかる、という声をありがたいという一方で、当日はこんなもんじゃなかったんだけどなあって.
当日、仙台にいたあんべさんも悲惨な光景をリアルタイムで見てるわけです。その彼が、仕事とはいえ「オハイエ2」の映画の通り、とっておきの主催者の一人として、故郷釜石~福島の悲惨な被災地を歩いて回ったわけです。釜石で泣き崩れてるあんべさんが痛々しいったら。たくさんの知り合いを亡くされたことでしょう。
本人ひどく心を痛めてるのに、郷土出身のアーティストということで、3月から休む間もなく年内東北駆け回って、ついに年末のラジソン前に心身の不調に倒れた、と。
そりゃあそうでしょう。彼ほど繊細な歌書く人が、こんな悲惨な状態を平常心で回れるはずがない。しんどかったはず。
だって彼は被災者そものです。本当は被災してない外から来た人に支えられるべき側です。
岩手放送は、そこを理解してくれてますかね。
彼は、東北の「痛み」を、粘り強い「強さ」を、誰より知っているアーティストだから、彼の応援歌には真実があるのだと私は思います。
彼は先人のDNAを受け継いだ、イーハトーブの偉人です。
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