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ログハウス

趣味の画像と家族日記。 主に児童向けの映画、書籍、TVの感想や家族の話題を徒然に綴ってます。

NSPライブボックス「ライブはごきげん」徒然語り

Posted by ふざけおに on   0 comments   0 trackback

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このライブボックスを手にした時、レコードでしか知らない彼らの人となりを知る手がかりは、ファーストアルバムと「僕らはごきげん」のライブ盤だったことを思い出した。
「僕らはごきげん」(75年)
気負わない自然体なトークがまるで同じ高校の先輩のように身近な存在に思えたあの頃。
「渋谷公会堂ライブ」(77年)
うつろいゆく北国の四季と素朴なティーンの心情を綴った音楽が、都会の若者の心を掴んでいるシーンが清々しい。
「全国縦断仮想ライブ」(80〜84年)
1年に1回のコンサートツアーの日を待ち焦がれ、やっと目の前で動く彼らを見たときの感動が鮮やかに蘇る。
「FLY TO THE MOON」(85)
新メンバーを加え新サウンドを模索し、高いクオリティのステージにあって 、怜悧な刃を背中に突きつけられてるような破滅の序曲を感じさせる。

聴き終えて改めてNSPは含羞に満ちた青春の軌跡そのものだったと思う。
夢見がちに淡い感傷にふけった少年期から、都市部の現実を生きるために成熟を急かされた思春期の終焉の瞬間を追体験してるような、懐かしさの中にかすかな痛痒が心をかすめるのが、NSPの音楽ならではの味わいかもしれない。

また今は亡き天野滋氏の各ライブ解説のパッションが、NSP復活再生の胎動として伝わってくる。まさに彼の「命」の きらめきと言える永遠のステージのプロローグだ。
今もNSPのライブはこのボックスの中に生きている。
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な感じで、ポニキャンキャンペーンでスリハンのサイン色紙もらった楽天にお礼にレビュー書きました〜。
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平賀さん、熱のある細坪さんからももらってくれたのね。
なんかすみません。
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まあ、あとは印象に残ったことをとりとめなくだらだらと思い付きです・・・・。

〇いわてけーんVS福島県
郡山ライブ。郡山は無アクセント地帯なので、アクセントやイントネーションが変なのが気になるNSP。
福島の友人とさんざん議論した結果、岩手や青森の人は、必死になまりを直す傾向あるけど、北海道や福島の人はそんなに直さない。会津弁、そこまで恥ずかしくないんだよ。九州や関西の人が直さないのと同じで。北海道は雑多な出身地の人々の間で通じてるので気にしない(ふきのとうや松山千春は訛ってるよねw)。
その点北東北人は必死に直すのは、あまりになまりが酷くて笑われるから。千昌夫や新沼謙治が笑われてるのを見て、全国に笑われる言葉だと学習してるのです。
太宰は「恥」の文学と言われますが、南部津軽弁は「おしょす」のよ。
岩手出身者は県外に出ると必死に直してるのに、全然直さない福島県民のなまりが気になるんだよね~、わかる!
でもそれが卑屈な外様大名領地民と、誇り高き譜代親藩大名領地民の違いです。

〇みよちゃーん
この4コマ漫画大好きでしたよー。

〇秋の木立と天気雨  v
おおおお?!岩手県民会館??あ、確かにこの曲やってた。アタシいたかも?!この中に私がいたのね
~じわわーん。って、82年か。。。残念、81年じゃん。泣いて損したーーーーー;

この曲、NSPのエッセンスが凝縮されたような秀作だと思います。
軽快なアコギのリズム、エレキの煽情的なリード、、
中間部のメロディアスな展開、天野さんの素朴なボーカルにシンクロして重ねられる二人のソフトなコーラスワーク。
詞も良いです。
季節の変わり目に感じる、不安定な気分。悲しいとか寂しいとか、はっきりした鬱感情に落ちる前のそぞろな気分を写実的に捉えた感性は、天野さん独特のものだと感じます。他のアーティストにはないシーンに思えます。
孤独、鬱、そのものでなくそれへの予期不安ゆえに「君」に救いを求めてあがいてる感じが、幼い頃に秋や夕暮れを前にそういう気持ちになったようなデジャブが私にはあるのです。
ヒット曲「夕暮れ時はさびしそう」も実はさびしさ未満、未だ確定していない心情なんです。さびしさそのものでなく、これからさびしくなりそうだから、彼は心細さにあえぐのです。
暗い夜を迎える前、世界に闇が訪れる前の不安とでもいうか。絶望の恐れというか。
季節性鬱は寒冷地特有のもののようですが、
それまでの光輝いた世界が翳って、北国の沈鬱な冬が来ることを予想して、じっとしていられない気分になること、ありますよね。
陽は沈むし、冬は来る。でもじっと待てば、やがて、朝が来て、春になる。そう理屈でわかっていても、それがもう来ないような気がする言い知れぬ不安・・・・
なんとなく、突き詰めていくと母との「分離不安」ではないかと個人的には思えます。
私は両親不仲だったので、幼児期に母親が家を飛び出すとき、兄を連れて行って、私は父の実家に預けられたことが何度かあります。おぼろげながら、もしかしたらこのまま母親が迎えに来ないかもしれないという不安があった気がします。
もっとも誰しも、子どもの頃、時を忘れて遊んでいて、夕暮れ時に急に心細くなって、母の姿を探し求めた気持ちを記憶の片隅に共有してると思いますが、それに近いというか・・・

〇「愛のロジック」
予期不安というと、
「ふられちゃったと会う人ごとに言い訳している自分が見える」
道化を演じる自分のみじめな姿を想像しているシーン、この痛々しさは、痛々しい自分を予想していることであって、まだその痛々しい状態に至ってないだよね。
これが映像ならモノローグなのか、妄想シーンになるのか・・・
でも天野さんの音楽は、鬼気迫るリアリティあるシーンとして脳内再生されます。それもさだ音楽のように誰かの素晴らしい演技や美しい映画を見てるのではなく、歌っている天野さんの本人の等身大の心情としてリアルに感じてしまうのです。
想いが届かないみじめさ、恥ずかしさ、自己愛の傷つきを、暗いとか湿っぽい男らしくないと嗤う風潮は、文芸とは相いれないものです。
和歌の世界ように、恥を忍んで秘めた思いを歌に託したのが文芸の源流であって、公衆面前で「僕と付き合ってください。」「ごめんなさい」「うああーふられたー」で花束捨てる的体育会告白ごっこは、言葉を持たない犬猫の発情期と同じだよね(笑)。
「愛のロジック」は、単純に理屈では解き明かせないから「恋愛」は文芸の永遠のテーマたる所以に思い至る曲です。

〇漁火
光満ちた世界も、やがては色を失う。
万物海から生まれ、海に還るように
日は沈み、冬が来て、愛は消える。
目に見えるもの聞こえるもの、全ては幻。無に帰するのだ。

個人的には天野さんの最高傑作に思える「漁火」。哲学的で文学的で、私の心に深く刻まれ、永久に消えることはないです。
それ以外にも「砂浜」も「海辺に語りて」も天野さんの描く海辺の心象風景は、私の心にいつもあるのです。
前述の孤独になる前の不安の続きにも思えたり・・・。心細さに抗い、二人で逃がれようと行きついた先が海辺。
そこからはもうどこにもいけないんだよね~
一人じゃ寂しい、でも二人でも結局孤独から逃れられないんだよね。
この歌、「歌を忘れたカナリア」という童謡に、問いに対し「いえいえそれは~」という問答を思い出して、それで好きなのかもしれません。。

〇Fly To The Moon
私の知らないNSP。音楽性を追求した良いコンサートしてますよね。
「WHY ME?」「月蝕」「愛は2分の一」、大人の複雑な恋愛模様をそれぞれのボーカルで味わい深く演奏されてます。完成度の高い、かっこいい音楽で今聞いても聞きごたえあって良いです。
初期は届かぬ思いに苦悩してたのが、だんだんモテすぎて複数の女性を相手にしてるので、別れ方に苦労するようになったわけだ(笑)
背伸びしてる感じもあるし、トレンディドラマ苦手な私の日常とはかけ離れてるけど、世間的にはそういう音楽が求められた時代だったんだよね。
後期のふきのとうもすごいクオリティ高い演奏してて、今のゆずと比べても全然勝ってるよなと贔屓目に思うけど(←意見には個人差があります)・・・でもどこか悲壮な緊張感あったよね。
メンバー同志、ミスを許し合えないような・・・
それはそれで意味があって、必死にコースについていこうとした時代があったからこそ、復活後のNSPやスリーハンサムズの緩さが良いとわかります。
最初からコースアウトしてたら、こんなにかけがえない音楽だったと案外気づかなかったかもしれません。。
世間の流行はどうあれ、俺たちが好きな音楽を好きに楽しもうってスタンスに価値あるって思えるのは、あがいた時代があったからでしょう。

〇トーク
3人のトークが懐かしい。いつもお笑いトリオみたいにメンバーをディスってたけど。。、だんだん天野さんが他のメンバーをいじってるのが、実はそろそろやばいんじゃないかって・・・笑えなくなってきたりw、
80年代のニューミュージックライブでMCをしないのが主流になった頃、私はふきのとうにはまったんだよね。
スタジオ録音のアルバムより、ライブ盤が良かったです。
ふきのとうも実はたくさん音源隠れてるだろうから、ファンの聴力が健在なうちに出るといいね~。

〇「WHY ME?」
中村さんの熱狂的ファンだった私はこの曲はぎくりときます。頭で天野さんの詞だとわかっていても。
当時何故好きなのかをずっと考え続けてたけど、でも説明つかないのが惚れるってことなんだよね。。。。だけどいつまでもおとぎの国にはいられるわけもない。
「みんなが撮ったNSP写真集」見て(平賀さんの元奥さん何枚も写ってるよね?)
つくづく私は、この華やいだファンの中にいたら場違いだったろうな~イタタだよね。私がもし人並の容姿だったら、おとぎの国にいられたかもしれない。
「ひそかにふさわしい人との、ひそかに幸せを願うのが愛なのさ~♪」
それとは別に、今もって、「何故その音楽が好きか」を語るのが、私の趣味だと言える。
何故好きかを考えて突き詰めていくと、結局自分という人間の根底にある何かに突き当たるんだよね。
「何故その音楽が好きか?」を考えることは、自分探しなのだな。うん。
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